物の長さを測定する時、私たちは一般にセンチメートルという単位を使う。

かつては尺という単位を使っていた。
今でも呉服屋さんや大工さんなどは尺を使っている。

昔、竹製のものさしを買うと、センチとは別に見慣れない目盛りが刻んであったが、あれが尺という単位である。

物の長さを図る時ばかりでなく、面積や重さを測定するときも独自の単位を使う。
この日本オリジナルの測定法は、別名「尺貫法」とも呼ばれている。
ついこの前までの日本では、「○尺○寸」という測り方を使うことが多かった。

しかし物の流通が世界的になってくると、国ごとに勝手な単位を使用して測定していたのでは、あまりに不便であるということで、「メートル法」に統一しようという動きが出た。

「尺貫法」が廃止されたのは1960年のことだそうだ。
当時僕の叔母が、どこかの道端で怪しげな人物が尺の定規を投げ売りしていたと、大量に買い占めたことがあったらしい。

要するにある日以降、もう尺は使ってはだめよ、ということに決まってしまったのだ。

いくら「メートル法」に切り替わったと言っても、生活の中に以前のなごりは残っているもので、たとえば土地の広さを表す「坪」は尺貫法によるものだし、僕なんか趣味でスピーカーを設計する時に、サブロク板(910mm×1820ミリ)という合板の基本的なサイズを意識して、スピーカーの箱の大きさをあれこれ考えるのだが、あれも尺貫法に基づく呼び方だ。

厳密にいえば、尺貫法を使うのは違法行為なのだと思うが、実際にはあちこちに残っているのが実情なのである。

それでも日本人は素直だから、けっこうスムースにメートル法を受け入れて、世の中の主流はメートル表示に切り替わってしまった。

一方メートル法をまったく受け入れられなかったのがアメリカ合衆国である。

今でも主流はフィートとインチ。
アメリカの人と話すときは、サイズをインチに換算する必要にせまられることが多い。
ちなみに1インチは約2.54センチである(1フィートは12インチ)。

アメリカの長さ表示はほとんどインチで表示されている。

たとえばよくコルト45と言うが、拳銃の45口径というのは、0.45インチのことを指す。
すなわち約1.14センチメートルのことである。

インチは細かい表示をする時、○分の○という呼び方をすることも多いので、非常にわかりにくい。
拳銃の銃身の長さを表すときに、4 3/4インチとか、7 1/2インチとか呼んだりするのだ。

僕のコレクションしているガンベルトの世界では、メートル法を使う事なんて皆無であり、自分の腰のサイズが何インチなのか常に把握しておかなければならない。
しかし電卓片手に毎回計算したのではあまりに不便なので、インチで表示された定規やノギス、メジャーなんかが欲しくて東急ハンズに買いに行ったことがある。

ところが店内のどこを探してもインチ表示の製品は見当たらない。
お店の人に尋ねてみると、かつて置こうとしたことがあったが、違法であるということで、すべて回収してしまったと言う。
要するにおおやけに扱ってはいけない物なのだ。

まったくアメリカには困ったものだなと思ったが、体の大きなアメリカ人にはセンチでは区切りが細かすぎるのであろうか。
アメリカ人のことをよく大雑把だと言うが、最小単位がインチに基づいていることもそう見える原因かもしれない。


さて、そういう訳で、ヨーロッパから輸入したものはミリやセンチで作られている場合が多いが、アメリカから輸入したものはインチの場合がほとんどである。

以前、僕の勤めている会社で、アメリカから機械を輸入したことがある。

それまではほとんどの機械をスイスやドイツから輸入していたため、多くの部品はメートル法に基づいて作られており、仮に壊れたとしても日本製の部品を使えば何とかなった。

しかしアメリカ製の機械は案の定インチ規格で作られており、本当なら先に壊れた場合の対処を考えるべきであったが、そこまで頭が回らなかった。

導入してからしばらく経って、機械の重要な部分のネジが折れて、機械がストップしてしまった。
すぐに日本製のネジを持ってきて修理しようとしたが、どのネジも穴の大きさが上手く合わない。
こりゃあインチネジだ」その時になって初めて気付く。

すぐに工具屋さんに電話して、インチネジを置いていないか問い合わせる。
しかし、ないです、の一言。つれない返事である。
そりゃあそうだ。インチネジを売るのは厳密に言えば違法かもしれないのである。

アメリカ製の機械がストップしてしまったので、会社全体の生産までその影響を受けて停止してしまった。
こりゃあ大変だ。

電話帳でネジ屋さんをみつけて片端から電話してみる。
もしかすると大阪に多少置いてあるかもしれませんが、今すぐは無理ですね
どこに聞いてもインチネジを置いてある店はない。


困り果ててしまったが、ふと会社のそばにネジを作る工場があるのを思い出した。
僕は、ワラをもつかむ気持ちで、折れたインチネジを持つと車に飛び乗り、ネジ工場に走った。

工場の玄関に到着したが、何だか閑散としていて誰もいない。
声をかけてみたが中から出てくる様子はない。
しかし工場の奥からは機械の動く音がして、何やら製造している様子。

僕は工場の横手に回ると脇の細い道を通り、建物の裏側に行ってみた。

工場の裏には小さな庭があって、そこはちょっとした陽だまりになっていて、地面には花壇や簡単な畑が作られていた。
放し飼いのニワトリが数羽、コッコッ・・・と小さく鳴きながら足元でえさをついばんでいる。

平和でゆっくりと流れる時間。
僕は急いで飛び込んできたのに、ここはまるで対照的な世界である。

ひとりの作業衣を着た男性が、庭の光景を眺めるように黙って立っていた。
見たところ年齢は40代くらいで、長髪、少しえらが張っているがなかなか渋い精悍な顔つきである。

彼は火のついたタバコを片手に持ち、庭の空中に向かってフーッと煙をはいた。
作業を中断して一休みしているのだろうか。
職人らしからぬスマートな印象を与える人物で、もう少し歳が上なら、むかしは学生運動に没頭した、というような感じである。

僕はその人物に声をかけた。
あの…
彼は一瞬驚いたような顔をしたが、渋いが礼儀正しい声で
はい、何でしょうか?
と答えた。

何だか信頼の置けそうな人物である。
僕はネジが折れてしまい困っていること、そのネジがインチ規格で手に入らないことを説明した。
そして折れたネジを彼に手渡した。

彼は右手のタバコを左手に持ち替えて、右手でその折れたネジを受け取ると、太陽の日にかざすようなしぐさをして、じっと見つめた。
ネジ山を確かめているのだ。さすがはプロ、見ただけでそれが何であるかわかってしまうらしい。

このネジかあ…うーん、このネジねえ…
どうやらさすがの彼も悩んでいるようだった。
インチネジはどこにでもあるものではないのだ。

彼は「ウーン」と悩みながら、左手を頭の裏側に困ったように持っていった。
それは人が困ったときによくやる仕草だった。




しかしその時、僕は見てしまったのだ。

彼の左手の指の間に挟まれていたタバコ、その先端は彼が悩んでいるうちに白くて長い灰になっていた。それが重さに耐えきれずにポロッと落ちたのを。

彼は左手を頭の裏側にかざしていたため、落ちた灰は彼の首筋から襟の中、彼の背中に見事に入ってしまった。

僕は一瞬息を呑んだ。

彼も息を呑んだのがわかった。


あ゙っ


彼は瞬時に状況を察し、ネジに注がれていた目の焦点がサッとずれ、口が大きく開いた。
全神経が自分の背中に集中しているようだった。

ほんの短い時間だったが、凍りついたように静止した彼が、見開いた目で僕を見た。
永遠に続くかと思われるような緊張した一瞬だった。





そして彼はすさまじい声をあげた。


あああああじいいいいいい!!!!


そしてシャツの中に入ってしまった熱い灰を取ろうと、激しく体を前後に折り曲げて大暴れした。


ぶああああああじいいいいい!!!!!


僕はあまりの事に何もできず、おろおろと立ちすくすだけだった。

ニワトリもびっくりしてしまい、「コォーケェー、コォーケェー」と羽をばたつかせて右へ左へと飛び交っている。

ほんの一瞬前まで平和だった裏庭は、悲鳴を上げながら暴れまくる男と飛び交うニワトリで修羅場と化していた。

何をしていいのかわからず、僕はただ突っ立ってそれを見ているしかなかった。



やがて灰が外に出たのか、彼は平静を取り戻した。
そして咳払いをしながら乱れた長髪を直した。

元通りのしぶい男に戻った彼は、少し頬を赤くしながら僕にネジを返すと
このネジはウチにはないですね
と渋い声で言ったのだった。




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