私の祖母は数年前に92歳で亡くなった。

祖母はとても強い人で、生きている時は、訪ねてきた人が「まるでエネルギーを吸い取られるようだ」と、一様に同じ感想をもらした。
とても強いパワーを持っているので、その毒気にあてられてしまうのだ。


これはすなわち、その面倒を見ていた私の母親が、いろいろ大変な思いをした、ということでもある。


祖母は努力の人でもあった。

80歳を過ぎてから百人一首を読み出し、すべて暗記してしまい、見様見真似で、自分でもなかなか優れた俳句を詠んだ。

毎日ベッドの上で体操を欠かさず行い、90歳になっても、前屈して手のひらを地面につけてみせたりした。
それを見せられた人達は驚愕し、祖母のことを絶賛するので、本人はさらに得意になってやってみせた。

さすがに誉めると言うよりあきれている人もいたが・・・

中には私の母に
お元気ですわねえ・・・わかりますわ、大変でしょ
と小声で言った人もいた。


ところが祖母が亡くなってみると、人々の心の中には「あの人は凄かった・・」という思い出だけが強く残った。

たしかに最後まで老人ボケになることもほとんどなく、強烈な自我を通したまま死んでいったのだから、大したものである。

残された家族は、心に大きな穴が開いてしまったような空虚感を覚えた。


祖母がエネルギーに溢れていたのには、その生い立ちが強く影響している。

祖母は北海道出身で明治の生まれだった。
当時の人だから、家族には当然数人の兄弟がいた。

祖母には姉と妹がいて、3姉妹それぞれに強い個性と存在感があった。
北海道の厳しい自然環境の中で生き抜いてきたのは、生半可なことではなかったらしい。

ちょうどNHKで「おしん」がヒットしていた時、3人がそれを見てげらげら笑いながら、
「私達はあんな甘いものじゃ無かったよ」
と言っていたほどである。



祖母の妹にあたる人は、生涯北海道に住んでいたが、以前私の住む東京の家に遊びに来た時に、ゾウリを置いていった。

私はこの大叔母が亡くなりそうな時に、北海道に会いに行った。

そしてその枕元で、「まだゾウリをとってあるよ」と言うと、大叔母はろくにしゃべれない状態であったが、私のほうをジロリと見て、絞り出すような声で
形見だ!
と言ったのを覚えている。




さて、3姉妹はそれぞれ凄かったのだが、中でも一番だったのは、北海道に住む、祖母の姉にあたる長女の大伯母であった。

周りにいるその子供達や孫達は、大伯母のいる離れに呼ばれた時は、かしこまって正座して訪問した。
いわゆる怖いおばあさんであったのだ。

私は遠く離れた東京に住んでいたので、大伯母に対し、それほど怖い人という印象は残っていないのだが、自分の身近にいた祖母の事を考えてみても、そばにいる人たちにとっては、さぞかし怖い存在であったろうと思う。

実際私の祖母でさえ、長女である大伯母の前では、小さくならざるを得なかった。

私は大伯母から
あんたのところのM(私の祖母)は、子供の時からとぼけていてね・・・その辺を歩いていて、石が無くてもすっころんでいるようなボケた子だったんだよ!
と言われて、びっくりしたことがある。

祖母に面と向かってそんなふうに言える人にはじめて会ったからだ。

さらに大伯母は、どうやら私の祖父に当たる人に気があったらしい。

祖母が祖父から選ばれた事に対し、
何であんな素敵な人と結婚できたのかねえ・・
と、時々不思議がっていた。



その大伯母の若い頃の話は、伝説になっている。

大伯母たちは、北海道の厳しい自然の中で生きてきた。

大伯母のいた会社には、数百人の従業員がいて、繊維業を中心とした様々な厳しい仕事に従事していた。
もちろんその中のほとんどが男性である。

ところが大伯母は、その中でもっとも優れていて実力のある人物として、女性ながら並み居る数百人の男たちを押さえて、会社からリーダーに選ばれた。

同じ仕事をすれば、大伯母はひとりで男性の倍以上の仕事をこなしてしまったと言う。

いっしょに仕事をした経験のある私の父は、「あの凄さには、どうしたって歯が立たなかった」と言う。

女性がここまで出来るのに男は何をしているのか、と言いたい会社側の思惑もあったことだろう。
そのため大伯母のことは、機会あるごとに何かと引き合いに出されたそうだ。

大伯母はよく言っていた。
人間は、どんなに辛い目に合って、苦しい思いをしても、それで寿命が縮まる事はないよ。私を見ればわかるだろう?」と。



私の父親は、無口でもくもくと働くタイプなので、まだ学生ながら大伯母から一目置かれていた。
だいたい私の父親は、大伯母みたいな個性の強い人から好かれる傾向がある。

父は、戦争当時横浜に住んでいたが、空襲で焼け出されると、親子そろって北海道に疎開し、大伯母たちにやっかいになることになった。
もともとが北海道の出身だから、故郷に戻ったわけである。


北海道に行ってみると、大伯母は会社の大勢の雇い人たちのリーダー格として君臨していた。




ある日、大伯母は父に畑でカボチャを取ってくるよう命じた。

その時大伯母はこう付け加えた。

畑で一番おいしいカボチャを選んで取って来るんだよ


畑で一番おいしいカボチャ・・・

これはちょっと難題であった。
食べてみなければ、どれがおいしいかなんてわからない。

父はどうしたものか考えた揚句、ちょっとした名案を思いついた。

人間がカボチャの良し悪しを外観から正確に判断するのは、専門家でもない限り無理であろう。

ところが、動物には本能的にそれを嗅ぎ分ける能力がある。

父は、色の良いおいしそうなカボチャを数個選んで、それを馬小屋に持っていった。
そして馬の前にずらりと一列に並べた。

馬はひとつずつ臭いを嗅いでいたが、やがてその中のひとつを選んで、パクッと噛み付こうとした。

父はすかさずそのカボチャをさっと取り上げてしまう。
馬は空振りして空を噛む。

これが一番おいしいんだな

馬は仕方なく次の一個を選んで噛みつこうとする。
父はまたも直前でそれを取上げてしまう。

なるほど、これが2番目においしいわけか



ところが、この様子を物陰で大伯母が見ていたのだ。
リーダーとして、ここは叱らなければならない。

こらあ!

そう言って大伯母はこぶしを振り上げた。


振り上げてはみたが、さすがの大伯母もなんと言って叱るべきか思いつかず、それに続く言葉を失ってしまった。

そんなことをして・・・

つまる大伯母。固唾を飲んで次の言葉を待つ父。

馬が・・・・

大伯母は思いついたように叫んだ。
















馬がいじわるになる!!







言ってしまってから大伯母は、自分で吹き出してしまった。

そして、その顔を見られたくないかのように、あわてて物陰に引っ込んでしまったと言う。












ずっと後になって、大伯母は目を患い、専門の医者に診てもらうため東京にやってきた。
その時私の母親は、ずっと大伯母に付き添って、何度も病院と自宅を往復した。

大伯母は、それを恩義と感じたのか、その後ずっと私の母親に、いつか北海道に会いに来て欲しいと言いつづけた。

あんたに一言お礼を言わないと死ねないよ

機会あるごとにそう言っていた。


後年、ついに私の母親が、北海道の大伯母を訪問する日がやってきた。

その晩、大伯母は大喜びして、思い出話に花を咲かせた。

そして
これでいつ死んでもいい
とつぶやいたと言う。

そしてその言葉通り、大伯母は数ヶ月後に帰らぬ人となったのである。


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