私は昭和30年代に東京都の品川区で生まれた。

下町であったとは言え、回りは家で囲まれており、いわゆる自然の中の生活、とはかけ離れていた。

昭和30年代当時でさえ、東京では「カブトムシ」をお店で売っていたのである。今でも駄菓子屋で「カブトムシ」を買ってもらったのを覚えている。

たしかにその場所は、私にとって故郷であり、時折その辺りを散策してみると、懐かしさに胸がいっぱいになることも多い。

しかし、ごちゃごちゃした東京の町並みを見ていると、故郷という言葉から連想する光景とは、まったく違った世界であることは否めない。






小さい頃、埼玉県の田舎町に引っ越した。

私の両親にしてみれば、都落ち以外のなにものでもなく、さぞ心細い思いであったろう。
しかし、東京のすぐ隣とはいえ、自然に囲まれた環境は、私にとっては夢のような世界であった。

一面の田んぼ、生き物に溢れた小川、林の中の木々の香り、毎日が発見の連続であった。

現在のその町は、中途半端に都市化して、多くの物を失ってしまった。
しかし、当時は本当に田舎で、うだるように暑い、埃っぽい町並みの中を、愛犬と共にトラックに揺られて連れて行かれた引越しの日のことを、今でも昨日のことのように覚えている。



学校への行き帰りの通学路は、まさに驚きに満ち溢れていた。

川を覗いてみれば、フナやコイ、モロコ、ドジョウ、ライギョの魚影が水面下を横切り、食用ガエルやトノサマガエルがあちこちに顔を出して大合唱をしている。
時々アオダイショウがくねくねと水面を渡って行ったり、ウナギが水草の間に浮かんでいることもあった。

夜になれば、街灯に虫たちが集まってくる。カブトムシはもちろん、ノコギリクワガタ、コクワガタ、大量の甲虫類、オオカマキリ、カミキリ虫、小さな虫を狙うアマガエルたちもどこかからともなく集まってくる。

カブトムシなど集まりすぎて、虫かごでは入りきらないので、鳥かごに入れて飼っていたほどである。

私には川を見るたびに水中の様子を探り、夜街灯を見るたびにその下を物色するくせがついていた。
そして見慣れない生物に出会うと、早速父親にそのことを報告した。
私はいつのまにか昆虫博士になっていたのだ。





家の裏手にあった小川には、毎日遊びに出かけた。
川を住処とする生物たちとの小さな格闘は、私を夢中にさせた。

私の家系は、もともと狩猟系民族らしい。
先祖は北海道のニシンの網元だそうだ。

だからかどうかはわからないが、自然界の生物達の「裏をかく」ことは、私にとって無上の喜びであった。





川の流れるラインに沿って、その少し上をかなりのスピードで飛行する物体があった。

それはギンヤンマと呼ばれるトンボで、ツーッと直線的に飛んできたかと思うと、突然上下に激しく方向を変えたりしてみせた。
あの小さい羽で、よくあれだけ激しい動きが可能であると、感心させられる。


川の縁に沿った道を、父と歩いていると、時々ギンヤンマがすれ違って行く。
この辺のヤンマはほとんどギンヤンマであり、オニヤンマはめったに見られない。
まれにオニヤンマが飛んでいるのを見ると、興奮して有頂天になったものだが、もっと田舎に住む親戚の家には、庭にオニヤンマがたくさん飛んでいると聞かされ、がっかりした事がある。



さて、飛んできた1匹のギンヤンマをじっと見つめて、「あれはチャンだ。」と父がつぶやいた。
そして私の方を見て、「そうだ、ヤンマの採り方を教えてやろう」と言った。


それから父は補虫網を用意した。

補虫網で採るのなら誰にでもできる。

私はそう思ったが、父がそう言う以上、何か別の変った方法があるに違いない。


私たちは、川岸の草むらの中で、何匹かのギンヤンマが通り過ぎる様子をうかがっていた。

ほとんどのギンヤンマが、俗に「ギン」と呼ばれる体の色が青い「オス」のギンヤンマであった。
しかし、たまに「チャン」と呼ばれる「メス」のギンヤンマが飛んできた。
チャン」の体の色は茶色だった。


1匹の「チャン」が通り過ぎると、父はその後を追いはじめた。
そして「チャン」が速度を落とした瞬間を狙い、網で捕虫した。

父は、私の見ている前で、「チャン」の体に短い糸を結びつけ、竿の先に取りつけた。
そしてギンヤンマの通るコースの脇に、竿を持って待機した。

私は、一体何をするのかと思って、期待に胸を膨らませていた。

向こうの方から「ギン」が飛んでくるのを確認すると、父は「チャン」の付いた竿を振り回し、大きく円を描きはじめた。
その先には「チャン」が付いているから、かわいそうな「チャン」は仕方なく、大きな円を描きながら飛ぶことになる。
飛ぶというより、振り回されるといった方がいいだろう。

ちょうど、飛んできた「ギン」の目の前を横切るように、父は「チャン」を飛行させた。

すると、「ギン」は、コースをいきなり変更し、「チャン」の後を追いかけはじめた。
チャン」に追いつくと、交尾しようして「チャン」の体にからみつく。

そこを見計らって、父は竿を地面に伏せる。
すかさず「チャン」の体から「ギン」を手で引き離して捕獲してしまう。

何とも残酷な捕獲方法だが、次々に飛んできた「ギン」達は、ほとんどこの罠にひっかかった。
要するに最初から交尾の為に「チャン」を探して飛んでいるのだ。
その習性の裏をかいた、見事な捕獲術である、とも言える。

まさかメスを探して目がギンギンだからギンヤンマ、というわけでもあるまいが…。



さて、父は得意になって、飛んでくる「ギン」を次から次へと捕獲していく。
採ったギンヤンマは、横にいる私の手の指と指の間に、羽を挟んで持たせる。
すぐに私の両手がいっぱいになってしまい、面白がってついてきた近所の女の子の手も借りて、捕まえたギンヤンマを挟んでいく。
その子は両手をギンヤンマでいっぱいにして、目を白黒させている。



やがて私は、この方法には欠点があることに気がついた。

最初の1匹目の「チャン」を、網で捕まえないことには、その後の話は始まらないのだ。

チャン」は貴重品である。
なかなか捕まるものではなかった。
しかも、やっと捕まえた「チャン」で、ヤンマ採りを楽しめるのはひとりだけである。


私は何か方法がないか考えた。
そしてちょっとした名案を思い付いた。

要するに、「チャン」の代わりになるものを見つけだせばいいのだ。
私の両手には「ギン」がいっぱいいる。
私はその中の1匹を「チャン」にしてしまうことにした。



早速家に帰ると、プラモデル用の水性塗料を持ち出し、「ギン」の体を茶色く塗ってみた。

こんなことをすると、動物愛護協会からお叱りを受けそうだが、そこは子供のやること、お許し願いたい。

茶色く塗ってはみたものの、もう少し魅力的な「チャン」を作りたかった私は、悪乗りして、ヤンマの目にピンクのハート・マークを描いてみた。
えい、ついでだとばかり、もうひとつの目には、LOVEという文字を書き込んだ。

山口百恵がサインにそう書いたのを思い出したのだ。

ヤンマはえらい迷惑だろうが、これでメスらしくなってきた。



私は早速、この自家製「チャン」を持って、得意げに川に戻った。

川では近所の子供達が、ぞろぞろと私の父の後について集団になっていた。
はじめて見る変ったトンボの捕獲方法に、皆目を輝かせている。

私が自慢の即席「チャン」を見せると、さすがの父も、一瞬言葉につまってしまい、やがて「何だこれは、オカマの「ギン」じゃないか」と言って笑い出した。
「そんな偽物にヤンマがひっかかるかな?」

私は早速持ってきた竿の先にオカマ「ギン」をくくり付けて、川の上で竿を大きく振りまわした。

かわいそうな「ギン」は、不本意ながら女装させられた上に、無理やり振りまわされてしまい、散々な思いであった事だろう。

ところが、「ギン」にとっては、もっと悲劇的な事が起きた。





私や父が固唾を飲んで見守る中、飛んできた別の「ギン」は、

あっさりオカマ「ギン」にひっかかってしまったのだ!



次から次に飛んでくる「ギン」が、オカマ「ギン」の後を追い掛け回す
いや、これなら本物の「チャン」より的中率が高いのではないか?

オス同士でからみあった哀れなギンヤンマをすかさず手で引き離して捕獲してしまう。
何だか納得できないでいる内に、捕まってしまったような感じだ。
たちまち捕獲した「ギン」で、両手がいっぱいになっていった。


父はげらげら笑いながら、「ヤンマの奴、さぞや、おかしいな?と思っているだろうな」と言った。

私は、してやったり、という誇らしげな気持ちでいっぱいであった。






ずっと後年になって、私はトンボの研究者の方とお会いする機会があった。

私はあの時のヤンマ採りを思いだし、その方にお話した。

そして、「どうやらトンボというものは色が識別できるんですね。」と付け加えた。


その方は、すこし言葉をつまらせて、「ええ・・・・まあ・・・・そう言われていますが・・・」と言ったきり、考え込んでしまった。







もしかして私の作ったオカマ「ギン」は、まだ立証されていないことを証明してしまったのだろうか?



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ギンとチャン
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