僕が学生時代の友人のひとり、Y君はけっさくな奴である。

けっさくな奴なんて書くと、何だか古臭いイメージになるが、とにかくけっさくな奴なのである。

と言っても、冗談ばかり言っているような奴とは、ちょっと違う。
彼はむしろ、無口で都会的な印象を相手に与える。
知的で青白い顔をした文学青年、といったところか?

いや、Y君は本当に文学青年なのだ。

彼が好きなことは、本を読むこと、文章を書くこと、映画を見ること、演劇を鑑賞すること、詩を作ること…要するに文学的、映像的な作品に接し、親しむことが彼の趣味なのだ。

彼に文章を書かせたら、右に出るものはいない。
簡潔で無駄のない、美しい文章を書いてのける。

そう、彼は何よりも「美しいもの」に憧れているのだ。

彼の作品を見ていると、とにかく「美しく」まとめることに尽力しているのがわかる。
要するに彼はナルシストなのだろう。



Y君は、どこかの大学に1年間通ったようだが、あっさりやめてしまい、僕のいる大学に編入してきた。
実際、編入試験はかなり難しいらしいが、彼は簡単に通ってしまった。
したがって、彼は僕よりひとつ年上だった。

彼は頭が切れて、どのような難しい試験も簡単にパスしてしまう。
たとえ合格者が2〜3人の狭き門でも、見事に合格してしまうのだ。




彼はよく「僕は結婚しない」と言った。
それに対して僕の方も、「僕も結婚しない」などと答えていた。

彼にはお姉さんがいて、子供の頃いじめられた記憶があるらしい。
それが彼のトラウマとなり、女性と暮らすなんてまっぴらだ、と思うようになったのだ。

一方僕の方は、あっさり結婚してしまった。
その報告を彼にした時の気まずさといったらなかった。
彼は一言「…君は結婚するタイプだと思っていたよ」と言った。



Y君の夢は、「ヒモになること」であった。

誰か食わしてくれる女性をみつけて、自分は創作活動にうちこむ。
結婚する気のない人なのだから、考えてみれば、ずいぶん虫のいい話ではある。

彼は公然と「自分の夢はヒモになることである」と言ってはばからなかった。
実際彼は女性によくもてたのだ。
しかし多くの女性に言い寄られても、彼は、自分は結婚する気はないのだ、という立場をつらぬき通した。
中にはそれでもかまわないから…という女性もいたようだが。



彼は人前では物静かな文学青年を演じていたが、僕と電話で話す時は、かなりばかげた事を平気で言った。
よく明け方までげらげら笑いながら電話で話したものである。


彼に言わせれば、初めて僕と話をした時は衝撃的だったと言う。

僕は大学のキャンパスで、彼とすれ違った。
その時、「おい、Y君」と言って彼を呼び止めた僕は、映画好きと聞いていた彼に、サービスしてやるつもりで、昨晩観た「モンティ・パイソン ホーリー・グレイル」の真似をしてみせた。

その真似と言うのは、右手を頭の上に持っていき、頭をペンペンたたき、「チキーン」と叫ぶことなのだが。

さすがのY君も、その時はショックのあまり、動揺を隠せなかったように思う。

こう書くと、まるで僕の方がちょっといかれた「けっさくな奴」、という印象を与えてしまうかもしれないが、決してそのようなことはない、と思う。




Y君の数少ない理解者のひとりが、僕の母親であったろうと思う。

彼は時々詩集や俳句集なんかを出した。

僕の母親も昔は文学少女だったので、Y君の活動を理解してやり、その度に何冊か買ってあげていた。

さすがのY君も、僕の母親の意見が気になるらしく、僕と一通りくだらない話をした後、「ところで、お母さんは今度の僕の作品について、何か言っていた?」などと、彼らしくない言い方で聞いてくる。

僕は「ははーん、どうやら本当はこれが聞きたかったんだな」と直感する。
そして「何だか訳が分からなくて、理解不能だそうだよ」と、いじわるな返事をするのだ。

実際の話、彼の作品は、一般の人には理解できないものが多かった。
僕の母も、時折どこかから本を出してきて、首をひねりながら読んでいた。

しかし、彼が何よりも「美しさ」を追求していることは、文面から感じ取ることができた。


そして彼は肉体的な「美しさ」にも憧れた。

彼の映画の嗜好は、かなりの通好みであったが、それでいてブルース・リーのような大衆的なものも好きだった。

ブルース・リーの肉体は、厳しい訓練により引き締まっていたが、彼はその「美しさ」に惹かれていたのだろう。

そして彼は自分の肉体も鍛えた。









…ここまで書いてきて、ちょっと気になることに気付いた。



Y君のことを書けば書くほど、彼には、特殊な趣味の人物であるかのような誤解を受けかねない言動や行動が多いことがわかってきた。









おい、Y、今気付いたけど、

お前まさかホモではあるまいな。

僕は断じて違うからな!









話を戻そう。

彼は日々訓練を重ね、自分の肉体を鍛えていた。

しかし、一見おとなしい文学青年に見えるから、友人に「こいつ空手の達人なんだぜ」なんて紹介しても、誰も信じようとしない。

Y君の方も、あらぬ方を向いて「何の話?」というような顔をしてみせる。

そんな時は、Y君の本性を暴露させるとても良い方法があった。


Y君の目の前に、突然右手の拳を突き出すのだ。

Y君は武道の心得があるから、反射的にパッと飛びのく。
その時ババッと風を切る激しい音がして、Y君がただ者でないことがばれてしまうのだ。

そんな時、僕は「してやったり」とニヤニヤしていて、Y君はくやしそうに「やりやがったな」という顔をするのだ。


人から聞いた話では、Y君を飲みに連れていった時、ひとりのチンピラにからまれたらしいが、Y君はいとも簡単にチンピラをのしてしまったそうだ。

一見やさ男のY君に、まさかやられるとは思わなかったのだろう。
そう考えると何だかチンピラが哀れになった。


Y君は空手家の大山増達氏にも憧れていて、わざわざ会いに出掛けたそうだ。
大山氏は喜んで、Y君相手に話しまくったという。



ある日、Y君は、世田谷の公園で、ひとり空手の練習に励んでいた。
辺りには人気がなく、ヤァーとかトォーとか声を張り上げながら練習していたのだろう。



公園でひとり空手の練習


この時点で、Y君が常人ではないことがわかろうというものだ。


そこにタイミング悪く1匹の犬が現れた。

犬は、よっぽど虫の居所が悪かったのか、Y君の練習風景を見て、とても気分を害したらしい。

そしてY君の方にゆっくりと近づき、練習するY君の周りをぐるぐると回りはじめた。

Y君は、片方の目を犬から離さないようにしながらも、今更練習を止めるわけにもいかず、そのまま空手の練習を続けた。

やがて犬は、小さくウーッという唸り声を発しはじめた。

やばい、これは相当頭にきている


そう感じながら、彼は、「もはや戦いは避けられない事態に陥っている」ことを悟った。

だいたい公園でひとり空手の練習をするなんて、ばかな事をするから、とんでもない悲劇に巻き込まれようとしているのだ。

犬だって公園で奇声を張り上げている人物を見たら、噛み付きたくもなるだろう。


あの大山先生だって、動物と闘ったのだ。僕にもできないことはない!

そう覚悟を決めたY君は、その後の犬の動向に注目したと言う。



犬はついに我慢の限界を迎えたらしく、Y君に襲いかかった!

Y君はとっさに得意の構えをとり、犬に対抗した。

Y君は思ったに違いない。「蹴りのひとつでも入れてやれば、きっと犬は退散するだろう

美しくきめてやる、自分にそう誓ったはずである。


ところが、真実はY君の考えた通りにはいかなかった。

唸りを上げて、牙をむき出しにして、襲い掛かる犬。

その反射神経は、Y君の予想をはるかに上回り、Y君は蹴りを入れるどころか、自分の体を防御するのが精一杯であった。

容赦なく何度も飛び掛かる犬、必死になって防御するY君。
血みどろの戦いが続いた。

それはY君の考えていた「美しい闘い」とはかけ離れたものであった。


公園で人知れず激しい闘いが続く。

永遠と思われるような長い時間が過ぎ、やがて犬は攻撃するのが少し飽きてきたようだった。
あまりに一方的であったために、さすがにばかばかしくなったのかもしれない。

そして犬は「今日はこの辺で許してやるか」という顔をすると、攻撃を中止し、やがてどこかへ行ってしまった。

後にはどろどろのY君がひとり残された。


Y君はしばらくそのまま構えていたが、犬が戻らないとわかると、犬の気が変らない内にと、そそくさと逃げ帰ってしまった。

こうしてY君の公園での壮絶な闘いは幕を閉じたのである。





Y君についていろいろ書いてきたが、ここに書いたことはほとんど事実である。

これで、Y君がいかに「けっさくな人物」であるか、おわかりいただけたものと思う。



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Y君と公園の犬
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