2005年7月18日(月)
スターウォーズ・エピソード3・シスの復讐


スターウォーズの客の入りが悪いというので、甘くみて昨日午後から銀座に出かけてみたら、映画館の前は長蛇の列で、ビックリしてしまいました。
全席指定だと聞いていたのですが、その券を買うために並んでいるのだそうです。
しかも夜遅い最終回の席しかもう残っていませんでした。

そこで銀座で見るのはあきらめて、地元の小さな映画館に今日行ってみました。
性懲りもなくまた甘くみて(笑)、上映30分前くらいに到着したのですが、ここもほぼ満席!
もう最前列しか空いていないといいます。

仕方なくそこで我慢したのですが、これが本当にひどい席で、スクリーンが目の前にビルディングみたいに立ちはだかるんです。
嘘だろう、これでまともに鑑賞させる気か!?という感じです。
ほとんど寝るような体勢で映画を見るのですが、スクリーンの下の方と上の方で同時に目のピントが合わないんですよ。
首を曲げればPCニッコールみたいにならないかと思っていろいろ試しましたが(笑)、とにかく慣れるのにずいぶん時間がかかりました。




何かと話題の映画です。
こんなもの、という感じで悪口を言う人も多いですが、出来は決して悪く無かったです。
最近の3作の中では一番良かったです。
ただやはり1作目からすべて見ている人のための映画ですね。
ストーリーの流れを知らずにいきなり見たら、CGを多用したただのSF作品になってしまいます。
中学生くらいの子供も多かったですが、彼らにはそういう印象を与えたのではないでしょうか?

この前の2作は不思議と印象が残らない作品でしたね。
今回の新作公開を前にテレビで放送しているのを見て、やっと思い出しました(笑)
見てつくづく思ったのは、西部劇を意識した場面が多いということです。
エピソード2の母親の復讐に出向くシーンは明らかにジョン・フォードの「捜索者」の映画的記憶・・・というより同じロケ地を使っていたように思えました。

最初のスターウォーズが公開された時、たしか僕は高校生だったと思うのですが、いやー、あの時はぶったまげました。
まだこちらはSFというと着ぐるみと模型の時代だったのですから、いきなりCGの映像(そういう言葉もありませんでしたが)を見せられて、その強烈な差にぐぅの音も出なかったです。
学校で友達から「どうだった?」と聞かれて、何も答えられないくらいショックでした。

今となってはCGは見飽きてしまった感があり、たいして驚くことはなくなりましたが、今度の作品は第一作につながる秘密がついに明らかになる、という点で特別な意味を持つ作品です。
だって30年近くも頭にあったストーリーが、ついにつながって完結するんですよ。
まるで歴史の謎が解き明かされたみたいな感激はあります。
技術的に稚拙な頃の1作目(エピソード4)にストーリーをつなげなければならないので、それなりに苦労はあったと思いますが、登場人物も、メカのデザインも、それに音楽までもがそれを予感させるものになっていて、見る方はニヤリとさせられます。(ただし有名なダースベイダーのテーマはたしか2作目に突然現れたはず・・・)

面白いのは、ルーカスも言っているのですが、この作品を最初からリアルタイムで見てきたのと、後から見始めた人がエピソード1から通して見るのでは、印象が異なるということです。
6つの作品を通してみると、これは実はダースベイダーの心の物語であることがわかります。

ところでそのダースベイダー役を三船敏郎が演じたかもしれないという話はご存知でしょうか?
そもそも「スターウォーズ」自体が黒澤の「隠し砦の三悪人」からの発想で作られた作品です。
ルーカス自身が日本で黒澤と食事をしている時にそう言っています。
なるほど言われてみればR2-D2とC-3POのコンビは、千秋実と藤原鎌足のでこぼこコンビそのものです。
それで三船にダースベイダー役をやってほしいという話が来たのでしょうが、「子供の映画には出ない」とか言って、断ったという話を当時聞いたような気がします。
もし事実だったら、大変なチャンスを逃したことになりますね。


2005年7月15日(金)
失われし日々


インターネットで日光について調べているうちに、海外のオークションに日光の古い写真がたくさん出ていることを知りました。
古いものは1800年代の後半に撮られており、アメリカではちょうど西部劇の舞台となった時代のものです。
日本では明治時代にあたり、外国人が続々と日本にやってきた頃で、日本に来れば当然箱根か日光に出かけるわけですから、当時の写真が外国に多く残っているのは当然のことなのです。

落札してみようと思い、まずは憾満ヶ淵(かんまんがふち)の並び地蔵の写真をいくつか取りました。
写真がオークションに一度にいくつか出ているほど、観光地としてポピュラーな場所だったようです。
きわめて日本的な雰囲気の場所ですから、当然のことかもしれません。

まずは下の写真Aをご覧ください。
これは1880年代の写真とされています。
日本では明治10年代から20年代にあたります。
バードが日光を訪問してからそれほど経っていない頃です。
今よりさっぱりしていて明るいですね。
現在のこの場所は木がうっそうと茂っていて、薄気味悪い霊気の漂う場所です。


写真A


次に下の写真B。
こちらはほぼ同じ場所を写したもので、説明では1880年代から1890年代の写真とされています。
川の向こうの遠いところに立っている木の形を見ても、この2枚の写真が近い時期に写されているのがわかります。

こうして2枚比較してみると、Aの写真の方がBより手前から写されていますね。
Aの写真の道の途中に石がひとつ飛び出しているのが見えますが、Bの写真はちょうどその石のあたりに立って、少し低いアングルから向こうを写したのでしょう。
どちらの写真も手で彩色されています。


写真B


さて、写真を見ているうちに、非常に重要なことに気付きました。
どちらの写真もある根本的な事が、現在の憾満ヶ淵と違うのです。

それは道の右側を流れている大谷(だいや)川の高さです。
より正確に言えば、水面の位置です。
道から近い、こんなに高い位置を川が流れているなんて、今のこの場所を知っている人には不思議な光景です。

そう、ここはかの明治35年の大災害で、一番被害の大きかった場所なのです。
その時に大半の地蔵は流されてしまい、後になって拾い集められましたが、60余体はついに発見できませんでした。
大谷川も土石流により深く掘り下げられ、川底が30mも下がったと言われます。
30m・・・そんなことってあるのだろうか?と思っていましたが、この写真を見るとまんざら嘘でもないことがわかります。

つまりこの写真に写っているのは、あの大災害の前の光景なのです。
並び地蔵はすべて揃っており、川は穏やかに道のすぐわきを流れています。


こうなるとどうしてもこの場所に行って、現在の光景を確かめてみたくなります。
今から120年前に当時のフォトグラファーが立っていたその場所に・・・


現在の写真


あいにく天気は良くありませんでしたが、小雨の降る中、古い写真のプリントアウトを片手に歩き回りました。
そして、恐らくあの写真の撮られた場所はここであろうと断定したのが、上の写真です。
非常に気味が悪い場所ですが、今日は目的がしっかりしていたので、そんなことは気になりませんでした(笑)

まずは道幅がずっと広くなっているのに気付きます。
多分、川がはるか下に掘り下げられてしまい、辺りは流されてきた土砂で酷いことになっていたでしょうから、整地しているうちにこういう形になったのでしょう。
お地蔵様はかなりの数が失われています。
拾い集められた時に、以前と同じ場所に置かれたとは限らないので、順序も変わっているかもしれません。




場所を探すときの決め手となったのはこの2本の杉の木です。
左は写真Aを拡大したものです。
(すばらしい性能のカメラですね)

2本の木の間に折れた木の残骸がありますが、下の現在の写真でもそれが一部残っています。

また120年も経っているので、木そのものが成長してそうとう太くなっており、そのため位置関係が少し違って見えます。

もうひとつの写真Bでは、撮影位置の違いからくる錯覚か、手前の木の位置がもう少し上にあるように見えますが、残骸の存在や奥の木の形などから、同じ場所であると判断しました。




川の位置はまるで違います。
道の片側は小さな崖のようになっていて、水はずっと下を流れています。

下の写真は道から川を見下ろしたものですが、30m掘り下げられたというのが大袈裟ではないことがわかります。
土が流され川底から不気味な形をした岩が露出し、両岸は崖のように切り立ち、その奇怪な光景は観光地日光の新たな風景美となったと言います。
この対岸はちょうど植物園から田母沢の御用邸にあたります。

それにしてもここにあった筈の大量の土砂はどこに行ってしまったのでしょう?
明治35年の災害がいかに大規模なものであったかがわかります。




上に載せた古い2枚の写真を見ると、写真Aの方が引いた位置から撮っており、ずらりと並んだお地蔵様を上手く表現していて僕は好きなのですが、よく見ると写真Bの方は、道の中央遠くに重要なものが写っており、写真家は地蔵ではなくそれを強調したかったのがわかります。
その部分を拡大したのが下の写真です。




地蔵に手を合わせる日本人の男性。
彼はいったい何者なのでしょう?
彼の子孫はこの地に残っているのでしょうか?
今となっては解明は不可能でしょうが、そのようなことを想像するのはとても楽しいことです。

この光景からは、このお地蔵様が人々の信仰と尊敬の対象であったことがわかります。
またこうして手を合わせて祈ることが、当時のごく自然な行為であったことも伝わってきます。





さて、下の写真Cは、同じ場所を反対方向から写したものです。
こちらは当時一般に広く出回っていたステレオ写真で、1896年に発行されています。
明治35年の災害の6年前ですね。


写真C


奥のほうに屋根の付いた茶屋のような建物が見えますが、これは現在はありません。
この並びの奥にある慈雲寺の本堂は流失してしまった(現在は復元されています)ので、この高さにあるものは土石流でほぼ全滅しているはずです。




不遜にもお地蔵様に足をかけている男の姿が写っています。
服装から見て少し寒い時期のようですね。

これは恐れを知らぬというか・・・この男にはばちが当たったに違いないと思います(笑)




現地に持っていった写真のプリントアウトが不鮮明ではっきり見えなかったのと、撮影当日の天気が悪く現地が暗かったので、写真Cに関しては正確な場所はわかりませんでした。
下の写真の近くで撮られたであろうことは間違いないと思います。
晴れた明るい日に再度撮影したいですね。




今回の試みは、やってみたら相当面白くて、わくわくするタイムトリップ・ゲームであることがわかりました。
インターネットやカメラ等、いくつかの趣味が統合されていて、しかも非常に活動的です。
ある種の宝探しのようなものです。

今後も他の場所の写真を入手して挑戦したいと思っています。


2005年7月13日(水)
ヒトラー


何かのきっかけでこの映画のことを知り、ぜひ見たいと思っていました。
問題作であろうことは題名を見ただけでわかります。

日曜日にスターウォーズを見に行こうと思っていたら、Mrs.COLKIDが私は行きたくないと言います。
見たいと思わないと言うのです。
僕はスターウォーズは満員だろうと思っていたのですが、映画館に電話してみたら、席がかなり余っているというので驚きました。
もうあの手の映画は食傷気味なのか、皆あまり見たがっていないようです。

見に行く映画について話し合っている時、僕が「ヒトラー」はどうだろうかと尋ねたら、あの映画は見たかった、という返事。
不思議と言うか、少し怖いことではあります。
「ヒトラー」と「スターウォーズ」ではまさに正反対の映画です。
もはやハリウッドマジックが、一般の人に通用しなくなりつつあるのかもしれません。

調べてみたら全国で渋谷の映画館一館でしか上映していないんですね。
だから当たり前と言えば当たり前なのですが、完全に満員でした。
1時間前から並んで欲しいと言うので、かなり早めに家を出ました。

お客さんが続々とやってきて、列はどんどん延びていきます。
席についてからも勢いは止まらず、座れなかった人が通路の階段に紙を敷いて座りだしました。
こんな光景を見るのは久しぶりです。
やはり年配の人が多かったですが、女性の比率もけっこう高く、中年のおばさん同士で見に来ている人もいました。




映画はヒトラーについて書かれた2冊の本をもとに作られています。
そのうちの1冊はこの映画の主人公でもあるトラウドゥル・ユンゲの「私はヒトラーの秘書だった」という回想録で、実際にユンゲ自身が映画の最後に出演しています。
これらの書物をベースに、この映画はヒトラーが包囲された地下要塞で迎えた最期の12日間の出来事を、淡々と描いています。

この淡々と描いているところが重要な部分で、今までこの人物を「普通に」描くことは映画界のタブーだったのです。
ユダヤ系が占めているハリウッド映画では当然かもしれませんが、他ならぬドイツがヒトラーという人物を見直したところに大きな意味があります。
戦後のドイツはヒトラーという人物を封印し完全に抹殺してきました。
しかしあれだけ多くの人物が熱狂し、世界中を巻き込んだ大きな戦争を引き起こした人物が、いままで描かれていたような「単なる狂人」でしかなかったなんて、そんな筈は無いだろうと誰もが心の奥底で感じていることでした。

今やっと冷静に歴史を見つめなおすことができるようになったのです。
戦争に直接かかわった人たちや、おそらくは利害関係を持った人たちが、世の中から少しずつ消えていき、公正な目であの出来事を考え直すことが出来るようになったのでしょうか?

時に狂人のように興奮し、時に寛容になり、それでいて常に女性にはやさしい・・・映画の中のヒトラーは非常に人間的でありながら、多くの側近が後に書いているように「最後まで理解できない部分を持った人」であり、決して本当の自分の姿を見せない人です。
しかし、特に崩壊を目前にした人物は、こういう状態になる人が多いです。
僕はこういう人を何人も見たことがあります。




映画そのものの出来も良く、かなりの力作です。
多くの場面は地下の要塞内部で繰り広げられ、そのまま舞台のシナリオとして使えそうなほどです。
こういう単館で公開される映画は、作品としての出来はいまいちのものが多いのですが、この映画はかなり出来が良く、最後まで飽きさせることなく映画に見入ってしまいました。

この映画に描かれていることは、多分真実に近いのだろう、という感想を多くの人が持つことでしょう。
そこが重要な部分で、そのことは、今までハリウッド映画が、何かを隠しある種の思想教育のようなものを施そうとしていたのではないか、という疑念を抱かせるのです。
ここに描かれていることが真実だとしたら、この映画を非難しても、「真実を描いてもらっては困る」という、とんでもない物言いになりかねませんし、ナチがアウシュビッツなどで犯した蛮行を描いていないことを非難しても、ピントが外れた意見に思えてしまいます。

多分一番の問題は、ヒトラーが悪魔ではなく普通の人間に見えてしまうことなのでしょう。
映画の製作側に政治的な偏った思想が感じられず、その場で起きた事をそのまま描いているように見えるのも、真実味を増す要因になっています。

9.11のテロの後、世界中の多くの人々、それも大衆レベルのおばさんまでもが、被害者であるはずのアメリカのやり方を、むしろ非難したことに僕は驚きました。
もうアメリカのやり方には騙されない。
ヨーロッパをはじめ世界中の人々がそう思い始めているとしたら、映画界においては、この映画がハリウッド映画崩壊の序曲となるかもしれません。


2005年7月3日(日)
宇宙戦争


土曜の夜に日光に向かい、日曜日の夕方帰ってきました。
そのままゆっくりしていればいいものを、その日の夜に映画を見に行きました(笑)
スピルバーグの「宇宙戦争」です。

単純な映画ですが、評価が難しいと感じました。
何の思い入れもない人が見れば、これは世に溢れたSF作品のひとつで、出来はまあ中位・・・と思うかもしれません。
しかし個人的には非常にこの映画が気に入ってしまいました。




「宇宙戦争」は世界中に衝撃を与えたH.G.ウェルズの傑作SF小説です。
この小説1作で、「宇宙人」は地球を侵略する悪の代名詞になってしまった。

しかし僕の世代では、視覚として強烈に脳裏に焼きついているのは、何といっても53年に映画化された「宇宙戦争」です。
もちろん公開当時直接劇場で見たわけではありません(まだ生まれていない・笑)。
しかしこの作品を何度も何度もテレビで放映し、それを子供の時から何度となく見せられて、とにかく宇宙人というのは怖いもので、人間は手も足も出ない・・・という恐怖をトラウマとして植え付けられてしまったのです。

今にして思うと、この旧「宇宙戦争」や、「ゴジラ」、一連の恐竜が出てくるB級作品などが、子供だった僕の精神状態に影響を与えて、何か得体の知れない怪物から逃げ回ったり、窓から恐竜が覗くたびに机の陰にかくれたり・・・といった悪夢にうなされる結果となったわけです(笑)

僕はスピルバーグもそういう人なのではないかと思っていました。
「ジュラシックパーク」の時にほぼ確信したのですが、今回の作品で間違いないと思いました。
この人は実はモンスターものを撮らせると傑作が多いんです。
「激突」の時からそうでしたが、なかなか姿を見せない怪物を描かせると一流なんです。
何か甘っちょろい作品や、逆に真面目ぶって大人っぽい作品を作ると、何でこんなものを・・・なんて思ってしまうのは僕だけでしょうか?(笑)

宇宙人を得体の知れない怪物というイメージから救ったのもスピルバーグでしたが、今回は現在の時代背景にも影響され、強大な力を持つ「悪」としての宇宙人を自ら描くことになりました。
最初から甘さをほとんど介入させず、最後まで徹底的にハードに描いていくのもいいですね。
ただただ逃げ回るだけ。
それも勝てる見通しのない敵から逃げる絶望の旅。

宇宙人の最後があっけないと感じる人も多いと思うのですが、原作があることですし、それより旧「宇宙戦争」のラストシーンを意識して作っているように思われました。
細かい部分に文句をつければいくらでもつけられる作品ですが(笑)、何人かの人は、あの「宇宙戦争」を現代のSFXでもう一度見せてくれたスピルバーグに感謝することでしょう。

Mrs.COLKIDの感想
「もっと何か起きるのではないかと思っていたが、あっさり終わってしまった。疲れていて眠いはずなのに、最初から最後まで息がつけなくて眠れなかった(笑)。ストーリーがないのに強烈に記憶に残りそうな作品。東京ではなく大阪の話が出てきたのはUSJがあって有名になったからに違いないと思った」