2005年 1月30日(日)
UVニッコール


今月はいい気になって写真を載せすぎで、1ページにしては容量が大きすぎるので、少しペースを落しています。

日々の経緯は「プチ日記」の方に書いているので、そちらを見ていただくことにして、突然ですが幻のレンズの一つといわれるUVニッコール105mmF4.5を入手しました。
それも「あれ欲しいんだよなあ」と言ってから2日後には、極上品が破格値で手に入りました。
大変運が良かったです。

何でもレッドブックに載っているレンズだそうで、世界中のニコンコレクターが「実物を見たこと無い」と言っているものだそうです。
たまたまレンズ・コレクターが、コレクション整理のために秘蔵の逸品(ほとんど未使用)を処分したものが目にとまったのですが、何分特殊なレンズですので、警察が犯罪捜査に使ったりしたものでなくて良かったです(笑)

購入したのは郊外のお店だったので、電車で片道2時間近くかけて行って、現物を受け取ってきましたが、今回は本当に出掛けていった甲斐があって、前から欲しかったジッツォのカーボン三脚も、たまたまあった在庫を破格値で譲っていただき、大変得をしました。




さて、一般の人間がこのような特殊なレンズを入手して、一体何が撮れるのか・・・

実は北欧にあるニコンを使うプロカメラマンのサイトで、このレンズを使い、目に見えない紫外線領域の光をデジタルカメラでとらえた写真を公開しているのです。
特に植物を撮影すると、見たことのないような幻想的な世界が展開されます。

これはデジタル時代だからこそ出来る新しい写真の世界のひとつで、紫外線領域まで記録できる一部のデジタル一眼レフカメラでしか撮影できません。

それを見て(アマチュアのいいところで・笑)ぜひ真似してやってみたいと思っていたのですが、まずはこのレンズを手に入れないことにはどうしようもありません。
比較的最近までニコンのレンズカタログに載っていたと思ったのですが、一時は約39万円の価格にまで上がっていたそうです。


早速花屋さんから鉢植えを買ってきて、ベランダで何枚か撮ってみましたが、まったく思うような写真にはなりません(笑)

北欧のサイトの写真はこんなものではなく、人間の目で見たのとは全く違う強烈な色で花々や風景が捉えられており、人間以外の生き物の目で見た世界を垣間見ることができます。

何でも今の季節は自然光では無理なようで、紫外線を発するストロボが必要なそうです。
またフィルターもいろいろ取り替えてみることで、様々な違った世界が展開するようですね。

おいおいそういった機器を揃えていき、挑戦しようと思っています。
下の写真は、まず普通に撮影した写真に対し、フィルターをレンズの先端にかぶせて、長時間露光すると、真っ黒な中に像が浮かび上がってきたものです。(それがちゃんと可視画像としてカメラの液晶画面に映るのですから面白いですね)
今回はとりあえず撮影が可能なことがわかり、いけそうな感触がつかめたので、スタートとしてはそれで十分です。

それにしても目に見えない領域の世界が、Cpture4で処理可能なのには驚かせられます。
人知れずこういうことが可能に作られているんですね。
このレンズはもともと警察の鑑識(血痕が写る)や、絵画の補修箇所のチェックなどに使われているそうです。
民間以外の分野から、ニコンにそういう要求があるのでしょうか?





2005年 1月23日(日)
レンズ テスト


先日届いたニコンのテッサータイプのレンズ Ai Nikkor 45mm F2.8P を使ってみました。

まずは比較のために、僕が常用している AF-S DX Zoom Nikkor ED 17-55mm F2.8G(IF) を用意して、その辺の風景を両方のレンズで撮ってみました。



これはテッサー45mmで撮影しました。
郊外で見つけた鉄塔を下から覗き込んで撮りました。
実は面倒くさいので、車の窓から撮ったんですが・・・(笑)

ボディはD100、ISO200でプログラムオート、マルチパターン測光です。
カメラの自動露出計は F9 1/320 になりました。



一方こちらは17-55のデジタル専用ズームレンズで撮ったものです。
ズームはテッサーと同じ45mmに相当するところに固定して撮影しました。

上の写真とまったく同じ条件で撮ったのですが、こんなに暗く撮れています。
データを見ると、カメラは同じように F9 1/320 を選んでいます。
同じ絞り、同じシャッタースピードなのに、何でこんなに明るさに差が出るの??

ニコンのデジカメは写真を後からいじることが前提で、画像を白く飛ばさないように暗めに写るように出来ているのですが、同じシャッタースピードでこういう差が出るのはどうも解せません。

ちなみに上の17-55の写真をRAWデータ現像の際に一段明るくしてみると、こういう風にほとんど同じ明るさになります。

暗く写る理由はちょっとわかりません。



両写真の細部を拡大して見てみましたが、ほとんど差は認められませんでした。

テッサーの方がわずかに色収差が多く出ているかもしれません。
一方で色のリはわずかに良いような気がしますが、デジタル写真の場合、後から何とでもなるので、あまり関係ないように思います。


下の写真は実家の温室に吊るしてあった干し柿を両レンズで撮影したものです。
上がテッサー45mm、下がズーム17-55mmです。

ともに絞り優先オートでF4に固定、カメラのマルチパターン測光はテッサーでは 1/125 を選び、17-55では 1/160 を選びました。
三脚を使用せずに手持ちでいい加減に撮影したので、そのせいでシャッタースピードが変化したと思われます。





今度はそれほど大きな明るさの違いは出ていませんね。
暗いところだと画質に何か差が出るかと思ったのですが、拡大してみてもやはりそれほどの差は認められませんでした。
ボケ方に多少差があるでしょうか?
テッサーの方がコントラストが多少強めですね。
デジタル写真だとボタンひとつで帳消しになってしまう差ですが・・・

もう少し長く使ってみると、何となくこのレンズの特徴がわかってくるかもしれません。
使用感としては、テッサーはマニュアルフォーカスレンズなので、ピントリングを回した時の感触は、17-55よりずっといいです。




というわけで、テッサー45mmを持って町に出てみました。
以降の写真はすべてこのレンズで撮影したものです。




例によってどこに行くかも決めないまま、電車に乗って出発してしまいました。
ある駅で降りたら、目の前に浅草行きの電車があったので、そうだ、浅草にでも行ってみるかと思って、あわててそれに飛び乗りました。
浅草なら題材が豊富だろうと思ったのです。




ところが行ってみて失敗だったことに気付きました。

ここは人でごった返した、ごちゃごちゃした狭い土地で、広角レンズ向けの光景ばかりなんです。
テッサーは45mmだからと思っていましたが、よく考えたらD100に付けると1.5倍相当になってしまい、事実上望遠レンズになってしまうのでした・・・




天気は曇りで何だか薄暗く、目が劣化しているために、マニュアルでフォーカスを合わせるのは辛い・・・(笑)
寒くてレンズに触れる手がかじかんでしまいます。

やわなカメラマンだと笑ってやってください(笑)




なるべくもとの写真はRAWで撮ろうと思ったのですが、大きなメモリを忘れてしまったので、メモリの残量が心細くなってきました。
そのため途中でJPEGデータも混ぜながら撮影を続けました。




いろいろな光景を撮ってみると、このレンズはやはり色のリが良いという印象を受けますね。
銀塩時代には特に重宝した特長だと思います。

直接比較ではわかりにくかったですが、実際に使ってみると、良さがじわりと伝わってきます。
オーディオ機器といっしょですね(笑)




商店街の裏通りは、特徴的で不思議な雰囲気を持っています。
僕の父親は浅草が大好きで、浅草に知り合いも多いのですが、僕はどちらかというと銀座の方が好きですね(笑)




という訳で浅草から銀座線に乗って銀座に繰り出しました(笑)




いつもここでばかり撮影しているので、作例が同じような物ばかりになってしまいます。
ごめんなさい(汗)




銀座の街が他に無いクリーンな雰囲気を持っていることの理由は、建物の高さが総じて低めであることなんです。
しかも各建物の高さがほぼ揃っている。




ここはバブルの時期に新たに建て直した建物がほとんどないんですね。
多くの建物が古い法律に基づいて建てられているので、高さが低いんです。




それがこの街を歩いていて気持ちが良いことの最大の理由です。
銀ぶらという言葉があるくらいで、昔からここを歩くのは、ワクワクする楽しいことでした。
何も買わなくても、歩いているだけで楽しいんです。




恐れ多くも、フェラーリさまの頭を切って、わざと後ろのMINIを入れました(笑)
銀座ではこちらの感覚も変わってくるのでしょうか?
本心を言うと、MINIの方がカッコいいと思いました(笑)

本当はこの後ろに赤いアルファが停まっていて、それも入れたかったのですが、このレンズではそこまで入りきりません。




だんだん陽が暮れて夜になってきました。

プランタン銀座はMrs.COLKIDのお気に入りで、なかなか面白い食材が揃うのですが、宣伝が下手なのかいまいちメジャーになりきっていないですね。
でも雰囲気はやっぱり非日本的で悪くないです。




レンズの色のリがいいためか、夜になってもその場の雰囲気が伝わるような映像がとれて、なかなか楽しいです。
ただちょっと寒かったです(笑)
ピントを合わせなければならないので、その分撮影に時間がかかるんですね。




まるで昼間のように明るいディスプレイのお店があります。
警備員が入り口で睨んでいる格調高いお店もあります。
歩いていると風景がめまぐるしく変わって、目移りしてしまいます。
思わず立ち止まって、ディスプレイに見入ってしまうことも多いです。




みぞれ混じりの雨が降っています。

このレンズは小さくて軽いので、持ち歩いていてもあまり苦になりません。
ただちょっと小さすぎて、慣れないとピントのリングがみつからなくて探してしまうのと、レンズを左手に乗せてカメラを保持するポーズが取れません。
またレンズ交換の時も、レンズが小さすぎて上手くつかめないので、ちょっと面倒です。




僕はもう少し長い期間使ってみないと、このレンズの真価はよくわかりません。
どちらかというと銀塩を意識して作られたレンズのようですね。

皆さんはこれらの作例を見て、このレンズの特徴がわかられたでしょうか?
写真が下手糞なことは、とりあえず置いておいて・・・です(笑)




という訳で、今日も銀座の夜は暮れていくのでした・・・おしまい(笑)


2005年 1月22日(土)
倭 姫


山田さんから今度はウチの奥さんにいただいた作品です。
「倭姫(やまとひめ)」です。
大変気に入って、毎日拝んでおります。

写真は例のニコンのテッサータイプで撮りました。


2005年 1月20日(木)
テッサータイプ45mm


プチ日記の方にも書きましたが、ニコンのレンズをオークションで買いました。
Aiニッコール45mmF2.8Pです。

久々のマニュアルフォーカスレンズです。
CPUが内蔵されているので、フォーカシングが手動になるだけで、露出関係はオートが使えます。

ニコンとしては非常に変わった外観のテッサータイプのレンズです。
薄っぺらくて、その上シルバーを選んだので、ご覧の通り黒いボディにぜんぜん似合わない(笑)
カメラに興味の無い人でも、見ると「何だ、こりゃあ?」という顔をします。

ま、それが面白くてあえてこの色を選んだんですけどね。
小さくて軽いので、ちょっと散歩する時なんかにいいですね。




昨日届いたばかりでまだ使うチャンスがほとんどありません。
ちょっと使ってみた限りでは、あまり繊細なタイプではなさそうですね。

新しい設計のレンズではありますが、最新のデジタル用レンズとは違った傾向の、独自の個性を売りにしているのでしょう。
いわゆる「変り種」です。
心にもお金にも時間にも、余裕のある人向けです(笑)




レンズのボディが小さすぎるので、慣れないとピントリングが回しにくいです。
またピントの目盛りが、近距離にたっぷりとストロークを取っており、遠距離になるとすぐに無限遠になってしまうので、それもコツが必要です。

それ以前の問題として、僕がオートフォーカスに慣れてしまったので、久々にマニュアルを使ってみると、どうもピントの山がつかみにくいです。老眼も入っているかも(笑)

AF用のカメラはファインダーが悪いですね。
ニコンのカメラで言えばF3のファイダーは非常に良くて、周辺部でもピントが合わせられるのですが、F4以降はかなり劣悪になっています。

このレンズに関しては、そのうち時間が取れたらまたレポートします。


2005年 1月16日(日)
100 + 100


あー、疲れた。
土曜から日曜にかけて新しいサーバーに移行しましたが、掲示板に使っているCGIがうまく動かなくててこずりました。

2日間いろいろやってみたのですが、結局上手く行かなくて、仕方なく他にCGIへの対応の良いサーバーがないか探してみたら、KENT-NETという申し込んですぐに稼動可能なサーバーを見つけたので、急遽それに申し込みました。

そこは何とレンタル料金が1日10円しかかからなくて、しかも容量が100MBもあるんです。
今回正規に借りたサーバーと比べると、あまりに安い。
もう少しよく探してから決めるべきでしたね。




もともと僕のHPの掲示板は、KENTさんのところのフリーソフトで作ってあるんです。
だから、そこで貸しているサーバーがCGIに強いのは当然のことですね。
多分CGIに関して同じような思いをしている人が大勢いるのでしょう。
すぐに稼動可能というのも、経験的にそういう人たちのことを考えて作ったのだと思います。

合計で200MBになってしまいますが、写真の多いページがあるので、そのくらい余裕があった方がいいでしょう。
正直100MBじゃあ、すぐに使い切ってしまうかな?と思っていたので、ちょうど良かったかもしれません。


それにしても今日は1回も外に出ませんでした(汗)
ずっとパソコンの前に座りっぱなし。
こういうのは久しぶりで、少し疲れました。




早速CGIで動くプチ日記という新しいページを、試しに作ってみました。
CGIに強いサーバーなので、実に簡単でしかも快調に動きます。
他にもいくつか作ってみたくなりますね。


まだ古いCGIの日記を移していません。
それからパンキンヘッドのページも新しいサーバーに移行しようと思っています。

本当は昔作ったページを全部作り直したいのですが、新しく作りたいページがいっぱい控えているので、当分そのような暇はないでしょうね(笑)




今日は雨ということもあって外に出られなかったので、先週日本橋から銀座まで歩いた際にコンタックスで撮った写真を載せておきましょう。
ここに載せきらなかったものはプチ日記に載せればいいんですね。小さいけど(笑)

昨年は「カメラの人」だったけど今年は「オーディオの人」になろう、と考えていたのですが、先日オークションでニコンのレンズをひとつ落札してしまいました。
まだ他にも欲しいレンズがあるので、もうしばらく「カメラの人」かもしれません。


そのうち時間がとれたら、そのレンズのレポートを載せます。
僕のHPは、見てくださる方に少しでも情報を提供することを目標としているので。
といってもカメラに関しては腕が伴わないので、ちょっと恥ずかしいのですが・・・(笑)


2005年 1月10日(月)
月夜見尊


今日はお休みだったので、のんびり起きて、午後から日本橋、銀座を歩いてきました。
コンタックスで写真を撮りましたが、サーバー容量がぎりぎりなので、日記に載せるのはまた今度にしましょう。

写真はBBSでおなじみの山田さんの作品「月夜見尊(つきよみのみこと)」です。
なかなか素敵でしょう?
我家の玄関に飾ってあります。


2005年 1月9日(日)
巌頭之感


今週は忙しかったせいか(?)、衝動買いでパワーアンプを1台注文してしまいました。
今年の買い物第1号ですね。
某BBSで話題になっている海外の製品で、これはいいアンプだということになり、そこに来ている人が皆一斉に注文したので、僕もつい・・・(笑)
本当は今月は旅行用のカーボン三脚を買おうかと思っていたのですが、ちょっと予定が狂いました。
それにしても一度に同じアンプが10台から売れたのですから、お店の人もビックリするでしょうねえ(笑)


それはそうと、このHPに使っているレンタルサーバが、容量一杯になってしまいました。
更新しようとするとエラーが出てしまうので、仕方なく古いゴミデータをいくつか消して、それから新しいものをロードしている状態です。
半年くらい前に調べた時は、まだ半分くらいしか使っていなかったので、油断していたのですが、コンタックスを買ったこともあり、調子に乗って大きめの写真をたくさん載せたのが悪かったのかもしれません。

早速レンタルサーバの会社に問い合わせたところ、僕が借りているのはかなり古い契約によるもので、新しいものはずっと安くて、しかも容量も倍になっているとのこと。
これは移行しない手はないと思って、早速お願いしようとしたら、そう簡単には行かないことがわかりました。

今借りているサーバをいったん契約解消にして、それから新しいものを申し込んで、それが受理されるのに1日以上かかって、その後HPのデータを自分で全部再度ロードしないといけないんだそうです。
何だかずいぶん不親切ですが、要するに数日間HPが閉鎖状態になるんですね。
それが嫌で新しいものに移行できず、やむなく別の会社の無料サーバを借りて、そこにリンクすることで、しのいでいる人もいるようです。


そうは言っても、今新しいページを作っている最中で、この後もいくつか新企画があるので、容量を増やさないわけにはいきませんね。
来週あたり一時的に閉鎖する期間が出来るかもしれないので、よろしくお願いいたします。




これは明治36年5月22日に華厳ノ滝に飛び込んで自殺を図った16歳の藤村操少年の写真と、飛び込む寸前に少年が楢の木に刻んだ「巌頭之感」という辞世の詞です。
先日華厳ノ滝に行った時に100円で買いました。
こんなものをまだ売っているというのも凄いですが、売値が100円というのも凄いですよね。
刷ってしまった在庫を捨て値でさばいているのか、あるいは気味が悪いからまともに売る気はないのか・・・

「藤村操事件」というのは、知っている方は知っていると思うのですが、明治の世、日本中に思わぬ波紋を投げかけた大事件でした。

操少年は第一高等学校の一年生でした。
父親を亡くし、家族を背負って生きなければならず、自分に対する周囲の期待が少年に重くのしかかり、自由に生きたい、という欲求との葛藤に悩み続けますが、解決がつかず、ついには死を選んで滝壺に飛び込んだ・・・というのが少年の死の原因に関する通説ですが、最近の研究では他に理由があったという説もあるようです。

さすがはエリート一高生だけあり、16歳の少年の書いた文章なのに、僕には「巌頭之感」を読んでも何のことかよくわかりません。
それどころか読み仮名をふってもらえないと一部読めません(汗)
(原文はあえて載せませんが、検索すればネット上に載せているサイトがけっこうあると思います)

実は操少年の死より、それを利用したマスコミと、それに翻弄された当時の日本人たちの方が問題でした。
以下に「日光避暑地物語」(福田和美著・平凡社)を参考に、事件後の騒動について書きましょう。

たまたま少年の叔父が東洋史学会の博士だったこともあり、少年の机の中から遺書を見つけてあわてた親族や友人達が、現地に来て少年の捜索を始めたばかりにも拘らず、マスコミが現地の博士に張り付いて早くも少年の追悼文を書かせはじめました。
実は同社が出版したばかりの哲学書の宣伝という狙いもあり、事件を「哲学的に悩んだあげく厭世感を持った少年がついに死を選んだ」という内容にしたかったのです。

そして遺体が発見されていないにもかかわらず、谷中の斎場で式を催し、操少年の鎮魂碑を建てるための発起人会を作り、それを「巌頭之感」の楢の大木のそばに建設する運動を始めました。
しかしそのような縁起の悪いものを立てることを地主の二荒山神社が許さず、記念碑はたらい回しにされました。

操少年の死を肯定するかのようなこれらの運動に影響されて、自殺願望のある若者たちが、後に続けとばかりに自殺、または自殺未遂事件を起こし、その数は2ヶ月で15人にも上っていました。
新聞各社も彼らを煽るように、「これで何人目」と書きたてました。

「巌頭之感」の文章に若者を惑わす不思議な力があることに気付いた日光警察署は、楢の木よりその遺書を削り取りましたが、その前に撮影しておいた地元写真館がその絵葉書を発行、それは飛ぶように売れ、警察は写真の原板を没収し、絵葉書を発禁処分にしました。
この事件で華厳ノ滝は自殺の名所になってしまいましたが、避暑地であった日光の町にとっては、非常に迷惑な話だったのです。

操少年の遺体は7月になって死後43日目に発見されましたが、既に判別出来ないほど腐乱していました。
それをきっかけに、その遺体を滝の近くに土葬し、石碑を建てたいという計画が持ち上がりましたが、母親が断固反対し、結局操少年は青山墓地の藤村家の墓に埋葬され、石碑も最終的にはその横に建てられました。




マスコミも世間も、こういう事件の扱いに慣れていなかったのでしょう。
今になってみると少々滑稽な騒動ではありますが、一方で現代のネット社会で情報に翻弄されている私たちも、似たようなものと言えるかもしれません。

藤村操少年が一高の生徒であったため、世間の注目度が高かったことも一因と言えます。
当時の一高は日本中から選りすぐりのエリートが集まっており、そこから大臣や知事が多く出るわけですし、それぞれの出身地では彼らの名前は有名であったはずです。

ちょうど夏目漱石がラフカディオ・ハーンから東京帝大の英文科講師を受け継いだ頃で、藤村少年の英語の教師でもありました。
藤村少年が宿題をやってこなかったので、漱石は叱責しますが、その後すぐに少年が滝に飛び込んでしまったため、漱石はかなり狼狽したといいます。
漱石は鬱病で有名ですが、その原因のひとつが、この藤村操事件ではないかとさえ言われており、そう考えると、この少年のとった行動が、世間にいかに多くの影響を与えたかと思わざるを得ません。

しかしその後、世の中は日露戦争に突入し、富国強兵策の中、哲学的死などと悠長な事を言っている暇はなくなってしまい、事件は急速に忘れ去られていきます。

僕の父親は昭和2年生まれですが、この事件のことは非常に良く知っていました。
母親はそれから10年近く後の世代ですが、栃木県に疎開していたこともあり、知り合いが多いので、この事件のことは知っていました。
しかしそれ以降の世代になると、事件のことを聞いたことがある程度で、詳しい人はあまりいないようです。

そこで父親に、結局この事件はどういうものだったのか、と聞いてみました。
すると・・・

「神経質なのが、いろいろ厄介な問題が処理しきれなくなって、「人生不可解なり」と言って、滝に飛び込んだんだ」

と非常に簡潔に解説してくれました(笑)


2005年 1月3日(月)
日光奥地紀行


という訳で(笑)、お正月は奥日光で優雅にのんびりしていました。
31日に出発して2日に帰ってきました。
明日からまた出社しなければならないので、正月休みといっても、ほんの数日ですね。

大晦日はご存知の通り大雪で、道路はあちこち閉鎖、交通機関はかなり影響を受けたようですが、午前中からのんびり出発したのが良かったのか、特に問題もなくスムースに日光に到着しました。
帰りも渋滞に巻き込まれることなく、日光から1時間くらいで帰宅できてしまいました。
日光は近いので疲れなくていいです。その割に自然を満喫できますし・・・

今回唯一予定通りいかなかったのが、日光の金谷ホテル前の坂です。

初日ここでお昼に「鴨南そば」(これがおいしい!)をいただく予定でしたが、この坂にそれを阻まれました。
この坂は凄く急角度で、夏に行っても雨で路面が濡れていると、タイヤがホイルスピンを起こして焦げ臭くなるのですが、今回のように雪で覆われていて、その上凍結していると、僕の車では太刀打ちできませんでした。

最初に「無理かなあ・・」とは思ったのですが、案の定途中で上りきれずに車が止まってしまい、やむなくバックで降りようとしたら、今度はハンドルが言うことをきかなくて、切ったのと反対の方向に車が滑っていってしまいます(汗)
見物人の方が親切にも「無理だからあきらめなさい!危険だからドライバー以外の人は皆降ろしなさい!」なんてアドバイスをくれて(笑)、結局はすべり落ちるような感じで坂の下まで降りました(汗)

先日ミシュランのスタッドレスを誉めたばかりでしたが、早くもここで敗北を喫しました(笑)
慣れた人は上手く上ってしまうようですが、見ると四輪駆動車でも途中で諦めている人がいました。
車が軽い方がいいのでしょうか?

仕方なく「鴨南そば」はあきらめました。
そのままいろは坂を上って奥日光まで行ってしまったのですが、いろは坂は難なくパスできたので、やはり金谷ホテルの坂が凄すぎたと言うべきなのでしょうね。

宿泊客の人たちはどうやっているのだろう?と思ったのですが、後で聞いたら下に駐車場が用意されていて、ホテルにも専用のレンジローバーなんかが置いてあったので、それを上手く活用しているのかもしれません。


日光に関しては、たまたまイザベラ・バードの「日本奥地紀行」の研究に関連して、いくつかの書物で調べている最中でしたので、今回は個人的に非常に楽しい旅行でした。
それでは写真で簡単に旅行をたどってみましょう。
(以降の写真はニコンで撮影したものです)




初日、雪は盛大に降りましたが、スタッドレスのお陰で、例の坂以外は順調に走れました(笑)
いろは坂も雪に覆われていましたが、あの辺りは普段はそれほど雪が積もることはないと聞いたことがあります。



奥日光の中善寺金谷ホテルに到着しました。
大晦日からお正月にかけてここで過ごす人はけっこう大勢いるようで、部屋はほとんど埋まっていたようです。



泊まった部屋は、7月に来た時と同じ部屋です。
(実はあの時、年末の予約を入れておきました)
ヒジョーーーに快適な部屋でした(笑)



このホテルはJ・スタージェスというカナダ人建築家の設計なのですが、日本離れしたセンスの建造物という印象を受けます。
木をふんだんに使ってはいるのですが、石の建物に住んでいる人の感性ですね。




ここは建物は新しくて、料理も相当良くて、従業員の教育も行き届いていて、その上温泉も露天風呂があり、実に快適なホテルです。

まさにリゾートホテルと呼ぶにふさわしいホテルで、リラックスして過ごすことができます。

大晦日に行くと、夜11時半に集合して、近くの二荒山神社に初詣に連れて行ってくれます。
これがまた楽しみの一つです。




二荒山神社は男体山の麓にある伝統のある神社です。
もともと奥日光は険しくて簡単に行ける場所ではなく、主に二荒山神社にまつわる修行僧が入山していました。
実際この地は明治の初めまで女人禁制でした。

門の前で神主さんからお払いを受けます。
12時を過ぎて新年にならないとここを通してもらえません。
当たり前ですね。そうしないと初詣になりませんから(笑)
「いいですか、私がここをどいてから、押さないでゆっくりと順番に入ってくださいよ」
と神主さんは何度も念を押します(笑)



さすがに伝統のある神社で、シンプルですが何ともいえぬ重みがあり、厳かな気持ちになります。
寒いこともあり、空気が張り詰めています。
山の上なので、人でごった返すこともありません。

初詣はこうありたいものです。



それにしても感心するのはホテルの従業員のひとたちです。
大晦日は夜に年越しそばを作り、バスを運転して宿泊客を神社に連れて行き、帰ってきたら今度は暖かい甘酒を振舞います。
これをすべて同じメンバーの人たちが手分けしてやっているので、大忙しです。
頭が下がりますし、顔見知りにもなります(笑)




元日はゆっくり起きて、のんびりと辺りをドライブします。
雪は積もっていますが、空はほぼ快晴、気持ちの良い朝です。

いろは坂を下って日光の町に行くのは億劫なので、奥日光周辺を回ることにします。
あたりは一面の銀世界で、実にロマンチックです。




ここは戦場ヶ原です。
戦場と言っても、実際の戦が行われたわけではなく、有史以前に赤城山の神と男体山の神がどちらが上かを競った、という言い伝えのある場所なんですね。
考えてみたら、行くのも大変なこんな奥地が戦場になるわけないか・・と思いました。




反対側には男体山がそびえています。

日光は単純明快で豪快な地形で、上に「湯ノ湖」という小さい湖があり、そこから「湯滝」という滝を水が流れ落ちて、戦場ヶ原の横を通り、「竜頭ノ滝」を通って、下の中禅寺湖に流れ込みます。
さらにそこから巨大な「華厳ノ滝」で水はもう一段下に落下し、いろは坂の横を通って、大谷川(だいやがわ)として日光の町の中を流れていきます。

まるで子供が砂場に作った模型のようです。
明治35年にここで凄まじい自然災害が起きているのですが、それに関しては別の機会に書きましょう。



で、これが上にある湯ノ湖です。
一面氷が張っています。
写真ではわかりませんが、物凄い寒さでした。
気温は-6℃なのですが、強風が吹いており、体感温度はとても低く感じられました。



あまりに寒いので、ほとんど観光客は来ていませんでした。
突風が吹くと、立っているのが困難になります。
顔も、目の周辺以外を露出するのは辛く、カメラを持つ手の感覚が薄れてきます。
それどころかカメラの金属ボディが冷たくて、触るのが難しくなってきました。



完全に氷が張るとスケートができるようです。
鴨が何羽かいましたが、寒いので丸まっていました。
風の音以外、湖は死んだように静かです。



これは「湯滝」の落ち口を上から覗き込んだところです。
大量の水が数十m下へと落下していく様は実に豪快で、ちょっと恐怖を感じさせます。
夏は観光客が大勢いて、カメラマンもたくさん来ているのですが、今日は寒くて閑散としています。

この滝は小さな湯ノ湖を少しずつ削り取っているようで、湖の運命はこの滝が握っているのだそうです。



湯ノ湖の湖畔には湯元温泉という小さな湯治場があります。
ここはイザベラ・バードが明治11年に訪れているので、一度来てみたい場所でした。
当時も湯治客が一杯でしたが、お客は湯に入る以外にすることはなく、1日中温泉に繰り返しつかっていたようです。
また山の奥地にあって行くのが困難なので、一度行ったら数ヶ月続けて滞在していたようです。



今は小さなスキー場があるのですが、中途半端で何となく廃れており、「場末感」が漂っています(笑)
お店もスキー客目当てのロッジ程度のものがほとんどで、一昔前にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。

子供の頃はよくスキーに連れて行ってもらい、こういう宿に泊まりました。
コタツに入ったまま寝てしまうような、そんな感じです(笑)



古いお土産屋さんに入って、コーヒーを注文しました。
1杯400円なのに、紙コップに入ったコーヒーが出てきました(笑)
しかもあわてて作ったのか、かなりぬるい!
思わず笑ってしまいました。

ところが意外にも味がけっこう良かったのは、水が良いからでしょうか?




下の中禅寺湖に降りて、華厳ノ滝に行ってみました。
エレベータで下まで行くのは面倒だったので、今日は上から見下ろしてみました。
上から見るのも案外豪快ですね。

この滝にはちょっとしたエピソードがあるのですが、それは日を改めて書きましょう。


華厳ノ滝の周辺は和風のお土産屋さんが並んでいます。
ここには明治初期には6件しかお店がありませんでしたが、その子孫の方たちでしょうか?

その中に日光オルゴール館という洋風の建物がありました。

ここは広い店内がオルゴールでいっぱいなのですが、目玉は自分オリジナルのオルゴールを作れるコーナーです。
製作に挑戦するお客さんに、お店のご主人が指導してくれます。

面白そうなので僕も挑戦してみることにしました。


基本になるユニットは100曲あまりの中から好きなものを選べます。
最近の流行の曲が多く含まれていますが、こういうものはスタンダードナンバーを選ばないと、後々すぐに廃れてしまいます。



オルゴールの装飾用のパーツもいっぱい用意されており、好きなものを選ぶことが出来ます。
動物やキャラクター、草花や石など見ているだけで楽しくなります。



色とりどりで目移りします。
ここから好きなものを選んで、自分のオルゴールにホットメルトで接着していくわけです。
もちろんたくさん付ければその分の値段が加算されていきます。



自分なりの工夫をして、こういう感じの作品を仕上げるわけですね。
台座がゆっくり回転するタイプや、壁掛けタイプなどを選ぶことができます。
これはセンスを問われるところですね。



これが僕の製作したオルゴールです。
贅沢にクマちゃんを6体使用し、周辺部にはクマの好物のドングリをあしらいました。
曲は「星に願いを」にしました。
クマ研究家の名に恥じないシンプルな作品です(笑)

実際このオルゴールは好評で、先ほどもMrs.COLKIDが部屋で鳴らしていました。



こうして穏やかな中禅寺湖の元日は暮れていきました。



最終日もゆっくり昼食を取ってからホテルを出発しました。
急ぐ旅ではありません。



いろは坂を下って日光の金谷ホテルを目指しました。
エミールで下るいろは坂は、上りの時にも増して安定走行できました。
やはり雪道の後輪駆動車は、下りに有利なのでしょうか?



これが問題の日光金谷ホテル前の坂道です。
今日は既に路上から雪がなくなっており、難なく上ることができました。



坂を上りきったところに日光金谷ホテルがあります。
今日こそは鴨南そばにありつけそうです(笑)



何度も書いていますが、金谷ホテルは130年以上の歴史を持つ、現存する中で日本最古のホテルです。
今の場所は明治26年に、建築途中で中断していたミカドホテルを買収し、下の町にあった金谷カッテージインから移動したものです。




1階のロビーはゆっくりとくつろげるようになっています。
壁には19世紀に出版されたブリタニカ百科事典の第9版があり、自由に読めるようになっています。

金谷ホテルは増築を繰り返しているため、迷路のような複雑な構造をしていますが、その奥まったところの屋上に、小さなアイススケートリンクとプールがあります。
ここは2代目のオーナーの金谷真一氏が、レークプラシッドと呼んで自慢していた場所です。
今回はここを見学するのも大きな目的のひとつでした。



と言うのも、金谷ホテルに関連した古い資料を集めていると、このスケートリンクの写真がやたらに多く出てくるからです。
一度実物を見てみたいと思っていたのですが、驚くべきことにほとんど当時のままの姿で残っていました。



有名なここからの景観も拝むことができました。
実に良い眺めです。

建物は非常に古典的・・・というより当時そのままで、更衣室には「殿方更衣室」などと書かれています。
こういう古いものを大変な努力によって維持しているんですね。
しかもこの施設は現役で、来週からここでスケート教室が開かれるそうです。



手持ちの1930年代の古い絵葉書も載せておきましょう。
上の写真と比べてみてください。

古い写真で何度も見た景色なので、ここがその実物かと思うと、何だか感慨無量でした。



というわけで、念願の「鴨南そば」を食べることができました(笑)
これは本鴨の肉で、おつゆの熱で赤みがだんだんと白くなっていくんです。

1階の軽食のお店での百年カレーが人気ですが、実はその奥にある「やしお」という日本蕎麦屋さんの鴨南そばも絶品なんですね、これが。




今回の旅行にはもちろんコンタックス TVS Digitalも持って行きました。
上の写真はすべてニコンで撮りましたが、ここから先はコンタックスで撮ったものです。
比較してみると非常におもしろいですね。
同じ場所で撮影していながら、こんなに色合いや雰囲気の違う写真になるんです。

ニコンの画像は温かみがありますね。
ニコンは機動性に優れており、バッテリーのもちもよく、やはり記録用として最大の効力を発揮するように思います。
一方コンタックスの映像からは、冷たい空気感までが伝わってくるようです。


































2005年 1月2日(日)
賀 正


写真はMrs.COLKIDの実家で飼っている「ピーちゃん」です。
今年はこういう絵柄で年賀状を出してみたのですが、なぜか不評でした(爆)