2004年 1月26日(月)
白鳥

土曜日の夜から栃木に遊びに行ってきました。

せっかくスタッドレスタイヤを購入したので、雪上性能を試してみたくてドライブに出掛けたのです。
ところが到着してみたら、東京と気温は変わらなくて、と言うよりむしろ暖かいくらいで、雪はほとんど見かけません。
金曜日に降ったらしいのですが、もう解けてしまったようです。

しかたなくタイヤテストはあきらめて、福島まで足を伸ばし、白鳥が来るという池に行って来ました。



この辺にはぽつりぽつりと池があって、冬になると白鳥がやってくるのです。
地元の人たちも家族連れで白鳥見物にやってきます。

実は「白鳥撮影マニア」と呼ばれるカメラ好きの人たちがいて、その人たちの間でこの池は有名な撮影場所なのです。
空を飛ぶ白鳥の背景に黒い山の陰が上手く重なってくれて、しかもそれに朝日が逆光であたるという、日本でも有数の素晴らしいロケーションなのだそうです。

因みに白鳥の撮影というのは写真という趣味の中でも極めて困難なもののひとつで、「明け方氷点下10℃の中で、1000ミリクラスのレンズを自作の大型雲台に付けて、じっと白鳥が飛んでくるのを待ち、飛んでいる白鳥の目にピントを合わせて撮影する」というまるで拷問か修行のようなことをしなければならないのです(笑)
フィルム時代は20〜30本くらい撮影して成功するのは1、2枚だったそうです。

僕はもちろんそんなマゾヒズムは持ち合わせていないので、デジカメでお気軽にパチリとスナップ撮影です(笑)


ところがここの白鳥というのが予想に反してすれていて、とにかくエサをもらうために水の上を行ったり来たりしているのです。
ご覧の通り、白鳥以外にもカモ系の水鳥がいっぱいいます。まるでスワンボートみたいですね(笑)

どうも彼らがねぐらにする場所を選ぶ時の基準というのが、「エサをくれる人がいるかどうか」ということのようです。
何ともあさましい連中ですね。

僕が手ぶらで立っていたら、「お前エサ持ってないのか」と白鳥が僕の顔を見て鳴きました。


さらにその白鳥を圧倒するのがすさまじい数のカモたちです。

見てください。エサを投げようものならギャーギャーと喚き立てながら、茶色い小さいのがうじゃうじゃと集まってきます。

白鳥にエサをやろうとしても、首の長い白鳥がもたもたしているうちに、すばやいカモが横からサッと取ってしまうんです。


ついに白鳥がキレました!

激怒した白鳥が、自分の周りにいるカモたちに猛烈な攻撃を加え、尻や首に噛み付いて遠くに投げ飛ばします。
白鳥の執拗な攻撃にカモたちは悲鳴を上げて逃げ回ります。

最近は鳥までキレやすいんですね。
もうめちゃくちゃです。


という訳で何だかすごいところでした。
想像していたのとは違う理由で、鳥達の世界も大変なようです。

複雑な気持ちで池をあとにする僕達夫婦でした(笑)

2004年 1月19日(月)
タイムライン

「タイムライン」という映画を見てきました。

映画の出来にはそれほど期待していなかったので、わざわざ銀座には行かずに隣町にある小さな映画館に行きました。
期待していないとは言っても、見てみたら案外面白かった!という予想外の喜びを、実は密かに期待していたのですが、今回は本当に「大したことなかった」です(笑)

マイクル・クラントンの原作ですから設定は立派なものです。
決して救いようのない駄作というわけではありません。でもだからと言って第一級の優れた作品というわけでもありません。
A級作品でなければC級作品でもない。要するにB級作品ですね(笑)
同じマイクル・クラントンの原作では「ツイスター」というあまりおもしろくない竜巻の映画がありましたが、ちょうどあれと同じくらいの出来です。


この映画はいわゆる「タイムトラベルもの」で、こういう作品のストーリーには「過去への郷愁」と「思いがけない時間のトリック」が欠かせません。
この映画のシナリオにもそれは十分に生かされています。にもかかわらずいまひとつ面白くない理由として、作品の時間が短すぎることがあげられると思います。

原作者のマイクル・クラントンはこの映画の感想を聞かれて、つい「省略が多かった」という本音をもらしています。僕は原作は未読なのですが、クラントンはタイム・スリップのスリリングさ以上に歴史マニア的な凝った描写に重きを置いていたようで、それに関する省略が多いのが残念だったようです。

しかし監督のリチャード・ドナーを責めるのはかわいそうな気がします。
クラントンの原作はかなり膨大なもので、それだけのストーリーを2時間の枠に押し込めるとなると、ストーリーを大幅にカットし、幾人かの登場人物を削らざるを得なかったようなのです。
強引に短くしているため、せっかく時間のトリックや伏線がうまくちりばめてあっても、それをじっくりと表現することが出来ず、見ている側はその深みのない演出から簡単に物語の先が読めてしまうのです。
僕は映画を楽しく見るために、その映画の製作者にうまく騙されてやろうと努力する主義なのですが、それでも今回は先がミエミエでちょっとしらけました(笑)

今回のタイムスリップは、量子テレポーテーションという新しいテクノロジーで空間を瞬間移動する実験をしている最中に、たまたまワームホールにつながって14世紀に飛んでいってしまうという内容です。
量子テレポーテーションというのはFAXの仕組みに似ていて、人体を原子レベル以下に分解して解析し、データとして転送し、先方で再生するという手法で、その点がクラントンらしい「今ふう」の感じがしますが、この方法はデータのみを電送するわけで、それでは部屋に残ったFAXの原紙、オリジナルの方はどうなるのかと言うと、解析の際分解されてしまう、要するに死んでしまうのです。
僕も以前この方法については自分なりに考えてみたことがあり、このような恐ろしい方法を試したがる人間が世の中にいるのだろうかと思っていました。転送ミスがあったら、たとえば電送中に停電でもしたら「ハイそれまでよ」なわけです。「ありゃー消えちゃったよ」というやつです(笑)

で、それでも一応科学的に矛盾がなければまだいいのですが、今回はあまりに映画の内容に都合の良い機器ばかりが登場してくるので、それが最後まで頭に引っかかって納得がいきませんでした。
人体の構造を瞬時に原子レベルまで3次元で解析できる装置とか、ボタンを押せば元の世界に戻れるペンダントとか・・・そんなもの開発できるならこんな苦労するかよ!と言いたくなりました(笑)

こういう基本的な問題は、たとえ現実には作れる筈ないとしても、まっとうな作品ならもう少し納得のいく説明がなされるはずなのに、この映画では「良く知らないがどこかの学者の先生が作ったんだよ。まあいいじゃん」といういかにもB級っぽいいい加減さが感じられます。多分原作ではもう少しリアリティのある説明がなされているのでしょうが・・・

さらにこの作品を決定的に駄目にしているのはキャストの貧弱さでしょう。
男優も女優も魅力に欠けており、印象に残る人はいませんでした。
もしかすると優れた俳優がひとりでも出演していれば、もう少し見られる作品になったかもしれません。

けなしてばかりいますが、見るべきところが皆無だったわけではなく、例えばCGに頼りっぱなしにならない戦闘場面などは見応えがあってそれなりに評価できる部分でした。
しかし、いずれにしてもわざわざ映画館に行って見るほどの作品ではないような気がします。
あとからレンタルで借りて部屋で寝転がって見るので十分、それでも3日後にはストーリーを忘れてしまうでしょうし、1年後には題名さえ思い出せないかもしれません。

もう少し長く編集することが許される映像作品、たとえば3回もののテレビドラマなどにしたら、けっこういい作品になったのではないかと思っていたら、奥さんも同じ意見で「テレビドラマ程度よね」と言っていました。
どうも最近似たもの夫婦になりつつあるようです・・・(笑)

2004年 1月17日(土)
アフリカの星

「撃墜王アフリカの星」というドイツ映画のDVDを見ました。

1957年のモノクロ作品で、最近ドイツの戦争映画が何本かソフト化されたうちの1本です。
劇中で使われた「アフリカの星のボレロ」という曲がヒットし、映画音楽界では有名な曲です。僕も45回転のEP盤を持っています。

映画の出来はたいした事ありません。「中の下」程度です。特にお奨めはしません。
それではなぜ買ったかというと、個人的に「戦闘機パイロット」に興味があるから、という理由につきます。
この映画はスペイン空軍の協力で実機のメッサーシュミットが出てくるのと(戦闘シーンには模型を使用)、子供の時に一回見たきりでいつかもう一度見たいと常々思っていたので、少々高かった(4,700円)のですが購入しました。


この映画の主人公はハンス・ヨアヒム・マルセイユというドイツ空軍の天才パイロットです。
世界の撃墜王をいろいろ調べてみても、この人ほど「傑出した天才」は他にいないように思います。
総撃墜数は158機とドイツの戦闘機乗りの中ではたいした数字ではないのですが(1位のハルトマンは352機)、マルセイユの場合相手のほとんどがアフリカ戦線における強敵の米英軍機であり(ハルトマンの場合はロシア戦線での活躍がほとんど)、しかも非常に短期間に撃墜数のカウントを上げています。
マルセイユは1日で17機を撃墜するという人間離れした偉業を達成したことさえあるんです。

多くの撃墜王クラスのパイロットが「背後から気付かれないように至近距離まで近づいて敵を落とす」戦法を理想としていたのに対し、マルセイユは「頭から突っ込んで行き、極めて驚くべき射撃技術で敵を落とす」という、誰にも真似の出来ないがむしゃらな戦法を好み、単機で数機からなる敵機編隊に襲いかかり全機撃墜したという伝説的な話も残っています。
日本のトップエース西沢広義中尉が、やはり敵機編隊に右から左になめるように連射を加えて次々に火を噴かせたという話を聞いたことがありますが、このクラスのパイロットになると共通して「自分で操縦している限り敵から落とされることは絶対に無い」という天下無敵の強い自信を持っています。

事実マルセイユは戦闘中に命を落とすことはありませんでしたが、新型のメッサーシュミットBf109Gに乗った時にエンジンが不調になり、脱出時に体が尾翼に接触し弱冠23歳で事故死してしまいました。
西沢中尉も輸送機で移動中にその輸送機が撃墜されて戦死し、日本海軍は大変なショックを受けることになります。

いずれにしても戦闘機乗りというものは、精神的に極限まで追い込まれるハードな毎日が繰り返されるためか、個性が強く極端な性格の人が多いようです。
破滅的な性格であったり運命論者であったり・・・研究材料としては非常に興味深い対象なのです。

この映画はある程度事実に基づいたストーリーなのだそうですが、マルセイユは友人たちが死んでいく度に「次は自分の番かもしれない」という言い知れぬ不安にかられます。
そして「やがては自分も空で死ぬんだ。今は精一杯やるさ」というふっきれた考えに到達するのが、戦時下の戦闘機乗りたちに共通した現象のようです。

僕の部屋の天井から吊るしてあるメッサーシュミットBf109E3のプラモデル。
ドイツ機は無骨で独特のメカニカルな魅力がある。

ドイツの戦闘機乗りの撃墜数が他国に比べて異常に多いことの理由は、敵国と地続きでつながっているため戦闘の機会が多かったこと、撃墜されても下は海ではないので生還できる可能性が高く再度参戦できたこと、そして何よりも人的資源に乏しかったため「死ぬまでこき使われた」ことです。
アメリカは規定の回数出撃すると最前線から外してもらえましたが(そのためアメリカの撃墜王は最高で40機程度)、ドイツや日本の場合は精神的にも肉体的にもボロボロになるまで出撃を強要され、多くは生き残ることはできませんでした。

パイロットといえばF1パイロットを思い出しますが、当時の戦闘機乗りはちょうどF1のレーサーに近い存在だったと言えるでしょう。
彼らは全国から選ばれたほんの一握りのエリートであり、その中でもエース・パイロットはエリート中のエリートだったのです。
マルセイユはちょうどアイルトン・セナに匹敵する存在でしょうね。当時のドイツの女性達に大人気で、街ではサインをせがまれブロマイドも飛ぶように売れました。
昔から死と隣り合わせの男というのは女性を熱狂させるんです。

マルセイユはヒトラーからも直接勲章を授与されましたが、そのシーンは映画ではうまく逃れており、ヒトラーが画面に出てくることはありません。
この独裁者に関しては世界的にタブーな存在であり、当然ながら当事国のドイツは中でも徹底しています。
以前ドイツの人にメッサーシュミットの話をしたら、「そういうことを話すのはドイツではネオナチだけだよ」と言われてビックリしたことがあります。またベルリンを歩いている時に、軍装品のジャンクを扱うお店をみつけたことがあるのですが、店に入ってみたらお客や店員が異様な雰囲気の人物ばかりで、あわてて出てきたことがあります。

この点は日本の方が無神経かもしれませんね。日本のプラモデルメーカーがヒトラーのフィギアを出して世界中のひんしゅくを買ったのは記憶に新しいですし、この「アフリカの星」のDVDも本来ドイツ軍マニアを対象にしたシリーズのひとつのようで、セットで買うとルガーのモデルガンが当たったりします(苦笑)

一方でドイツの方は過去の忌まわしい記憶を完全に消し去り、それに触れないことで歴史を繰り返すまいとしているようですが、かえってその反動で国内に若者を中心として極端な思想的集団が出ているようにも見えます。

クノーケという準エース級のドイツ人パイロットが書いた日記形式の記録があります。
彼は功績を称えられヒトラーから勲章を授与されることになり、その会場でたまたまマルセイユに遭遇しました。
彼はその時のことを「あのマルセイユに会ったよ!」と自慢げに書いており、当時のマルセイユがいかにアイドル的存在であったかがうかがえます。
パイロットは物事を冷めた目で観察する人が多く、特にクノーケは非常にクレバーな人なので、彼のヒトラーや一般の人々に対する描写は注目に値します。

クノーケはヒトラーに関して「こんなに演説が上手い人物を見たことが無い」と評し、年寄りよりもむしろドイツの若者たちがヒトラーに熱狂している様子を見て驚き、憂慮すべきことと述べています。
独裁者に統治される国というのは西も東も変わりはありません。 若者は憑かれたように目を輝かせて独裁者を称え、独裁者の歌を歌います。
経験が貧困な若者ほど騙されやすく他人の影響を受けやすいと思うのですが、そういう意味では今の日本は「すこしやばいかな?」と思いますがいかがでしょう?

2004年 1月11日(日)
ミスティック・リバー

今日は銀座に映画を見に行ってきました。

映画を見た後で昼食を取ろうと思い、伊東屋の道をはさんだ正面の地下にある「Sin」というお店に入ってみました。
現代風日本料理のお店なのですが、ここの料理はとてもおいしかったです。
お昼は値段も手頃で、このお店はお薦めです。
かなり満足度高かったです。


今日はクリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」を見てきました。

前評判が良くて、TVでオスギさんが「オスカー本命」と褒めまくったらしく、その効果か朝10時半からの初回上映にもかかわらず、丸の内プラゼールはほぼ満席で、映画が終わって出てきた時は次の回を待つ人が階段に長蛇の列でした。
こういう地味で重いテーマをあつかった作品としては異例なことかもしれません。まったくテレビの効果というのは凄いものだと感心します。
平均年齢も高く、多くはイーストウッドに特別の思いを持っている人だと思うのですが、そういう人がこんなにたくさんいるものなのですね。それとも僕の勝手な思い違いですか?(笑)

ま、主役を務めておかしくない超一流の俳優が三人も顔を合わせたのですから、それが見たくて来た人もいるのでしょうが、でもやっぱり本当の主役はイーストウッドですよ(笑)
なんてったって音楽まで作曲しているんですから。しかもその音楽がちゃんと劇的に機能しているんです。むしろレニー・ニーハウスよりいいのではないかと思いました(笑)

僕が思うに主演の三人(ショーン・ペン、ケビン・ベーコン、ティム・ロビンス)も、昔は映画小僧だったに違いありませんから、年齢からいってもマッチョな「俳優」としてのイーストウッドの魅力の洗礼を受けているはずです。
それが映画作家としてもかなり優れていることがわかってくると、その「憧れ」が「尊敬」に変わり、いっしょに仕事をしたいと熱望するようになる。そして今回仕事をしてみて、そのプロとしての能力を目の当たりにし、「驚嘆」に変わったはずです。

前にも書きましたが、映画作家としてのイーストウッドの力量に最初に気付いたのは日本なんだそうです。本国アメリカはその認識において一番遅れていて、いまだにもと肉体派のスターが一流の映画監督になることを認めない人がいるようですが、天が二物を与えたことが許せないのかもしれません。
何といっても西部劇の息の根を止めたスパゲッティ・ウエスタンの尖兵ですから、保守的な層は彼を「二流俳優」にしておく必要があるのです。
一方で偏見の無い日本やヨーロッパには熱烈なイーストウッドファンが多いので驚かされます。カンヌに招待されるのもそういうことがあるのかもしれません。

イーストウッドは自身のマッチョなキャラクターの印象をどうしても払拭したいらしく、自分が監督した作品では何かと「弱い男」や人間の「陰」の部分をテーマにしたがります。当人はとっくにかつてのイメージを捨てているんですね(笑)
今回は出演せずに監督業に徹していますが、やはりテーマは同じで、「暗く重い運命から逃れられない人たちの物語」です。そういうテーマが大好きな人なんですね。多分本人は相当繊細で女性的な人だと思います。

主演の3人は申し分のない配役で、「これ以上ない」という最上級の評価を得ているようです。イーストウッドがミーティングに参加できなくても3人で自主的に集まって本の読み合わせや演技の研究を続けたそうで、その意気込みと努力が映画全体の揺るぎない統一感として現れています。
映画は最近になく悲劇的な内容で、すべての登場人物が避けようのない宿命を背負っており、その運命が何度も交差し絡まっていく様を実に見事に描いています。

イーストウッドの作品は、悪く言えばあらっぽいところがあり、時にアメリカ人的な大雑把さを感じさせる事がありましたが、最近はそれに「凄み」が加わるようになり、作品としての完成度が急速に高まっています。すでに独自の世界を持った「巨匠」になりつつあるのを感じます。
こういう善悪の境界線のはっきりしない世界を好んで取り上げる事と、もともと映像美などで強引に見せるタイプではないので、イーストウッドの作品は「あやふや」でありながら「単純」という不思議な印象を与える物が多く、ある意味で鑑賞する側にもそれなりの能力を要求されました。

今回はその「単純さ」の完成度が非常に高く風格さえ伴っているためか、重く複雑なテーマであるのにもかかわらず、実にスムースで分かりやすい立派な作品になっており、ストレートに映画の内容にのめり込むことができます。息の詰まるような心理描写とリアリティに圧倒されます。
かなりお薦めの映画ですが、明るく笑い飛ばせる場面はほとんどありません。

個人的には3人の中ではケビン・ベーコンが一番好きな俳優でしたが、今回はティム・ロビンスに感心しました。その奥さんの役のマーシャ・ゲイ・ハーデンも素晴らしかった。この人は悲劇的な役が合っていますね。
それとイーストウッドには性的倒錯者が出てくる作品が何でこんなに多いのだろうとちょっといぶかしく思いました(笑) そういうの好きですよね、この人。しかも扱いが自然(笑)
また劇中に出てくる酒屋の老主人がイーライ・ウォラックではないかと一部で騒がれています。クレジットには出ていないようなので定かではありませんが、真実だとしたら注目すべきカメオ出演ですね。

奥さんの評価は
「イーストウッドの映画はいつもドンパチに終始して(←いまだにこういう印象なんですね・笑)男ばかりが出てきて女は出てこないのに、今回は違った。特に後半二人の女性の演技が印象に残った。ただし作品は見終わってみるとそれほど心に残っていない。」
というちょっと厳しいものです。
でもこういう作品は見終わってしばらく経つとじわじわと良さが湧き上がってくるものですから・・・

2004年 1月2日(金)
新年の御挨拶

皆様、明けましておめでとうございます。
旧年中は身勝手な私めにお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
今年も相変わらずのマイペースで行こうと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたします。

芸がありませんが、元日に日光のいろは坂の駐車場で見かけたサルの写真を載せておきます。

・・・ほんとに芸がないですね(笑)