☆ ワイアット・アープという人 ☆
女優でもあったアープ夫人のヌード・ポートレイト。
映画「
トゥームストン」では、OKコラルの決闘のすぐ横で、この写真の撮影とおぼしきシーンが展開されていた。
20歳代のワイアット・アープ。
やさ男だが、目つきは鋭い。
スチュアート・N・レークの「辺境の保安官」。1931年に出版された。
80歳のアープ。相変わらず目つきは良くない。
映画「トゥームストン」の中で実際に使われた映画用プロップのリグ。時代考証にうるさくなって、昔のような「バスカデロ」はあまり見なくなった。映画のどのシーンで使われたかは不明。
 西部劇のヒーローは数多く存在しますが、もっとも有名なのはワイアット・アープでしょう。
 アープを題材にした映画はたくさんあります。名作「荒野の決闘」、「OK牧場の決闘」、最近では「トゥームストン」や「ワイアット・アープ」等、西部劇ファンで彼の名前を知らない者はいません。
 しかし、ワイアット・アープは、西部の英雄の中では、かなり変った運命を持つ人物でした。
 そもそも、銃で人を殺したガンマンの運命は、最期は誰かから撃ち殺される、というのが順当で、大抵のガンマンは、ほんのわずかに隙を見せた瞬間、誰かの凶弾に倒れ、若くして人生に終止符を打つことになりました。

 しかし、ワイアット・アープという人物は、かなりの堅物だったらしく、目の前を銃弾が飛び交っても、沈着冷静な行動をとれたようです。
 結果的に、彼は20世紀まで生き延びました。そして、そのことが、ワイアット・アープという人物の評価を、二転三転させる原因にもなりました。
 多くの西部のヒーローは、劇作家によって作り上げられたものです。どこかでローカルな銃の使い手を見つけ出しては、彼らを主人公としたお伽話をでっち上げて、本や劇で大儲けする、というパターンです。読んだ本人が、「これが俺か!」と言ったという話が残っているほどです。
 中にはビル・ヒコックのように、相当な腕前のガンマンも含まれました。しかし一度祭り上げられたヒーローたちは、以降英雄として生きなければなりません。当然その行動は大衆の注目するところとなり、その英雄を殺して名を上げようと集まってくる輩に対処しなければなりません。
 常に緊張した生活を強いられ、いつかはちょっとしたミスが命取りになって、墓石の下に永遠に眠ることとなります。
 西部という場所は、同じアメリカの中でも、初期の頃から東部とはぜんぜん違う、犯罪発生件数の多い、まさに「ワイルド・ウエスト」だったのです。
 命を落とす危険の多い西部は、物語の舞台として、かっこうの場所だったのでしょう。
 ワイアット・アープは、ワイルド・ウエストの時代、案外無名であったと言われています。アープくらいの腕の者なら、他にも大勢いたと言うのです。しかし彼は、激しい戦いの中、生き延びてしまいました。そして晩年、年老いた彼は、ハリウッドを訪れては昔話をしました。本物のガンマンの登場に、皆、興味津々でその話に聞き入った事でしょう。
 結果、彼の名前は有名となり、西部のガンマンの代表格のようにされてしまいました。

 その彼の話を、夢中になって聞いていた、ハリウッドの使い走りの青年がいました。彼は後に映画監督となって、名作「
荒野の決闘」を撮ります。彼の名は、ジョン・フォードといい、ご存知西部劇の神様と言われる人です。
 フォードは、直接アープから話を聞いた人物のひとりなので、「
荒野の決闘」のヘンリー・フォンダの演じるワイアット・アープは、本人のイメージと共通するものを持っていると思われます。
 さて、アープの話を要約すると、以下のようになります。

 ワイアット・アープは、ダッジ・シティで保安官を務めていましたが、その後1979年トゥームストンに移り住みます。銀で沸きかえるトゥームストンの町の、酒場の賭博を取り仕切り、一儲けするつもりでした。そこでバージル、ワイアット、モーガンのアープ3兄弟が集結します。
 しかし兄弟は、現地で幅を効かせていた、カーリー・ビルを首領格とする「ならず者」の集団、カウボーイズと対立していくことになります。やがてバージルが、トゥームストンの市保安官を引き受けることになります。当時は保安官といっても、ならず者と紙一重で、以前はお尋ね者だった人も多かったといいます。何よりも銃が扱えて、ならず者たちを制圧する能力が要求されたのです。そこに、博打うちで肺病に犯された元歯医者のドク・ホリディも参加し、アープたちに加勢します。
 カウボーイズとの確執はだんだんと深まり、小競り合いが続きますが、ある日(1881年10月26日)、町の裏手にあるOKコラルの隣の空き地で、両陣営の決闘が行われます。コラルというのは、馬を繋いでおく、塀で囲った場所の事で、「牧場」ではありません。この決闘で、カウボーイズ側は、クラントン−マクロウリー兄弟の内の3人が死亡し、アープ側も、バージルとモーガンが負傷しました。
 しかし、両者の殺し合いはそれ以降も続き、兄バージルは、闇討ちに会って、半身不随になり引退を余儀なくされ、弟モーガンは、ビリヤードをしているところを後ろから撃ち殺されてしまいます。復讐に燃えるアープは、味方何人かを集め、追跡隊を組み、カウボーイズのメンバーを追い掛け回し、ひとりひとり殺していきます。
 ある日、アイアン・スプリングスの水辺で、アープたち一行は、カーリー・ビルたちの待ち伏せをくらいます。銃弾の嵐にさらされてしまい、退却を余儀なくされますが、アープがひとりその中に取り残されてしまいます。もはやこれまでと思ったアープは、おもむろにショットガンをかまえ、敵の首領カーリーを撃ち殺してしまいます。
 当時のトゥームストンの町は、アープ側につく者と、カーリーのカウボーイズ側につく者とで、真二つに分かれていました。
 エピタフ誌とナゲット誌の両新聞も、それぞれが応援する派に分かれ、自分達に都合のいい内容で書かれていました。両勢力の争いは、町の政治的な対立という意味合いも含んでいたのです。アイアン・スプリングスの戦いで、アープが死亡したとか、いや、無傷であるとか、カーリーは生きているとか、それぞれ違う内容で書かれています。首領格のカーリー・ビルが死んでしまう事は、カウボーイズ側には都合の悪いことだったのです。

 実際、話が面白くてなかなか魅力的な男、カーリー・ビルは、町の人々に慕われ、堅物のアープより人気があったようです。
 一方ワイアット・アープは、トゥームストンで知り合った、資産家の娘であり女優であった、後のワイアット・アープ夫人と恋に落ち、その後は世界中を二人で旅して暮らし、二度とトゥームストンには戻らなかったといいます。
 こうやって見ると、「OKコラルもの」の映画は、物語のアウトラインをうまく頂いているのがわかります。多くはOKコラルの決闘までを描いていますが、最近の作品は、アープの人物像に迫る必要からか、決闘の後日談も映像化し、復讐の鬼となる冷酷なアープを描いています。

 アープの亡くなった(1929年)後、スチュアート・N・レークが、1931年に、ワイアット・アープへのインタビューを基にした「フロンティア・マーシャル」を出版し、アープの名前はさらに知れ渡りました。
 アープは、西部の英雄とされ、アープを主人公とした映画やTVドラマが作られました。彼の名前は、西部の英雄の代名詞になったのです。

 ここで問題は、唯一生き残ったアープが、事実を自分に都合のいいように変更できた、という事でした。
 1960年代になると、史実を正確に調べようという歴史家が現れ、アープの当時の行動をつぶさに調べた結果、アープが話した事は、全て嘘だということになってしまいました。アープは大嘘吐きのペテン師である、というショッキングな説が、一世を風靡してしまったのです。何かと英雄扱いされるアープに対する反感もあったことでしょう。
 映画もその影響を受け、1972年製作の「ドク・ホリディ」では、悪人としてのアープが描かれていました。後味の悪い「OKコラルもの」の映画だったといえましょう。

 どうやら真実のアープ像が見えてきたのは、最近の研究によるものです。
 ワイアット・アープは、西部の英雄というほどではなかったが、かといって、ただの悪人でもなかったらしい、というものです。なかなかリーダーシップのある親分だったのではないか・・・そんなアープ像が定着してきました。
 最近の映画でも、少しダーティで、それでいて親分肌の、魅力的なアープ像を描くものが増えてきました。
 アープ自身は、その取り巻きたちによって、英雄に祭り上げられてしまった感もあり、映画「
ワイアット・アープ」のラストでも、誇張された嘘の伝説を信じる少年に、アープ本人が渋い顔をするシーンがあります。実際にアープ自身の証言は、ふらふらせずに、一貫しているとも聞きます。
 注目すべきは、あれだけ激しい銃撃戦の最中にあって、アープ自身に一発も弾が当たらない、という事実です。
 OKコラルでの決闘においても、アイアン・スプリングスの撃ち合いにおいても、他に負傷者が数人出ているのにもかかわらず、アープだけには弾丸が一発も当たらないのです。まるで弾がアープをよけている様にさえ見え、運命とはこういうものか、と思わざるを得ません。
 特にアイアン・スプリングスの撃ち合いでは、完全にカウボーイズの待ち伏せを食らう形になりました。追跡隊の他の数名は早々に退却してしまい、気が付くとアープひとりが取り残され、カウボーイズ7〜8人の面々の集中砲火をあびます。まさに絶体絶命の危機です。
 まずカーリー・ビルの放ったショットガンが、アープのマントに大穴を開けます。もはやこれまでと感じたアープは、せめてカーリーを道連れにと、手のショットガンをカーリーに向け、腹部を狙って、二発連続で発射します。カーリーはそれをまともに腹部に食らって、身体が二つに千切れかけ、ものすごい悲鳴をあげて吹っ飛びます。
 その後も銃弾が飛んでくる中、アープは馬といっしょに後ずさりし、途中から乗馬しようとすると、サドル・ホーンが目の前で敵弾に吹き飛ばされます。彼を狙う銃弾が降り注ぐ中、仲間の隠れている岩陰まで退却しますが、カウボーイズの弾丸は、帽子やズボン、ブーツの踵に穴をあけただけで、アープの身体には一発も当たらないのです。

 カーリーは、銃の名手で、銃のグリップを相手に差し出し、渡す振りをして、すかさず回転、だまし撃ちをする「カーリー・ビル・スピン」という技で今も名前が知られています。私も昔は、カーリー・ビルが何者かも知らず、モデルガンでこの技を練習しました。
 その名手カーリーの放った弾丸が、よりによってこの大切な瞬間に外れてしまい、冷静にショットガンを撃ったアープの必殺の一撃が、宿敵を見事に捉えるという、明暗のはっきり分かれた結果となってしまうのです。
 多分、目の前で孤立したアープを見た瞬間のカーリー・ビルは、宿敵アープを倒す圧倒的に有利な千載一遇のチャンスに、さぞや興奮したことでしょう。いざという時には、平常心を忘れない、冷静に行動できる方が勝つ、ということでしょうか。

 現在残るワイアット・アープの歳をとった後の写真を見ると、その目つきが鋭い事に驚かされます。「百戦錬磨」とは、まさにこの顔のことをいうのだな、と思わせるのです。

ジーン・オートリー博物館に展示されているワイアット・アープの拳銃。フランクリン・ミント製のレプリカでおなじみの銃の実物である。
トゥームストンの郊外にある墓地に眠るOKコラルの決闘の犠牲者たち。ビリー・クラントン、トム&フランク・マクローリー兄弟の墓。
現在のOKコラルでは、人形を立たせて、当時の決闘を再現している。