☆ 初期の民間ホルスターと軍用ホルスター ☆
フリントロック式の単発銃二丁を入れていたという最初期のホルスター。このサンプルはミュージアム・クォリティだと言われたが、真偽の程は定かではない
 「ガンレザー」の歴史は、「銃の発展の歴史」と密接な関係にあります。
 1800年代の前半、まだ金属薬莢(メタリック・カートリッジ)式の銃弾が開発される以前の拳銃は、コルト社の
ウォーカー・モデルドラグーン・モデルのような、重量が2kgもある巨大な鉄の塊でした。弾丸を装填する時は、まずシリンダーの先から火薬を入れ、つき固めてやるという儀式を必要としました。
 戦闘の最中にその儀式を行うことは、不可能に近いもので、拳銃そのものの命中率もたいしたことがなかった事もあり、拳銃はあくまで補助的な武器でした。弾数を稼ぐ為には、複数の銃を持って行く必要がありました。
 しかし、この時代の拳銃は、前述のように大型で、たいへん重かったため、腰に吊り下げて歩くのは、いくら体格の良いアメリカ人でも躊躇したように思われます。
 一部の例外を除いて、銃を腰に付ける為のホルスターが多く開発されたのは、小型の
51ネービー(重量1.19kg)が開発されてからです。
 重い拳銃を持ち運ぶ際によく用いられた方法として、「ポメル・ホルスター」があります。
 馬具の上の方には、サドル・ホーンと呼ばれる、突き出た部分があり、乗馬の際、手で掴んだり、ロープをかけたりと、いろいろな事に使われました。
 「
ポメル・ホルスター」は、このサドル・ホーンの辺りを中心に、馬の体の左右にホルスターの袋をぶら下げる感じで、2丁の拳銃を運ぼうというもので、馬上から銃を抜くこともできました。
 このタイプのホルスターは、実用上なかなか優れていたためか、後には、「
ポメル・バッグ・ホルスター」と呼ばれる、左右に吊り下げたバッグの蓋をめくると銃が隠されている、という形状に発展し、以降の時代にも使われます。

 1851年に、軽量で小型の51ネービーが開発されると、いまだ先込め式のパーカッション・タイプの拳銃ではありましたが、銃の実用性が高まり、腰に付けて携帯するためのホルスターの要望も増えていきました。
 この頃から民間、軍用を問わず、いわゆる「ガンレザー」と呼ばれる革製品が、街に溢れていく事になります。
 

 一般に民間の「ガンレザー」は、前述のように、町の馬具屋が作っていました。馬は重要な交通手段だったので、各町に必ず馬具屋が存在していたのです。革製品を製造する馬具屋が、ホルスターを作る事は、ごく自然な事でした。
 しかし、各町にあったほんの小さな馬具屋を調べる事は、研究上困難を極めます。
 それに対し、軍用のホルスターを調べる事は比較的容易です。洋の東西を問わず、軍に物を納める場合は、正式な書類と図面が必要になるからで、そのドキュメントが残されているのです。
 軍用のホルスターも、やはり多くは、
51ネービー用のもので、あるいはその後に登場するSAA用のものです。
 軍用ホルスターの特徴は、色を黒く染められていることと、何らかの形でフラップと呼ばれる革製の蓋が付いていたことです。馬に揺すられて、銃を落としてしまうことのないようにです。
 軍人にとって拳銃は欠かせない物だったので、複数のメーカーによって製造された多くのホルスターが、軍に納入されました。そして銃の発展と共に、それらの形状は少しずつ変化していきました。
 基本的には、騎馬隊のホルスターは、銃の木製グリップを前方に向けて、体の右側に付けられました。体の左側にはサーベルを吊る必要があったからです。銃を抜く時は、右の手首をひねって、前方に向いたグリップを掴まなければなりません。
 軍用のホルスターには、このように変則的な制約がつきまといました。  
コルト・ウォーカー用の軍用ポメル・ホルスター。馬の背に左右にまたがる感じで装着した。このサンプルは先端部を真鍮製のキャップで補強してある。
コルトSAA用の軍用ホルスターとベルト。ホルスターは身体の右側に後ろ向きで装着された。どの銃に適合するかは、ホルスターが製造された年代を確定する上で、もっとも重要な要因となる。
参考までにその後の軍用ホルスターの写真も載せておく。右は長く軍の正式拳銃であったコルト1911A1用のボイト製軍用ホルスター。1945年製。左は最近のベレッタM9用ホルスターのビアンキM−12。